チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年5月30日
青い鳥
Verditer Flycatcher (Eumyias thalassina) Male 15cm
二三日続いた嵐も止み、今日は朝から真っ青なヒマラヤ晴れの空が広がっている。
山を一瞬真っ白にした雪も消え去った。
今日は日曜と言うことで鳥の日。
と言っても今日はただ一種類の「青い鳥」とおまけのみ。
この鳥は日本的分類でいくとスズメ目ヒタキ科に属すると思われる。
ヒタキ科の青い鳥というと日本では「オオルリ」が有名だ。
この鳥は全身青いが、オオルリは腹が白い。
青色にも違いがあって、オオルリはまさに瑠璃色をしているがこちらは水色に近い。
体型もこちらはスマートだがオオルリは丸っこい。
この鳥の特徴は黒い過眼線があることだ。
「青い鳥」といえば、チルチルとミチルが追いかけたという「幸福の青い鳥」が思い浮かぶ。
早速Wikipediaで「青い鳥」を引くと:
「『青い鳥』(あおいとり、フランス語:L’Oiseau bleu)は、モーリス・メーテルリンク作の童話劇。1908年発表。5幕10場。
2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。
青い鳥はキジバトがモデルとされることが多いが、キジバトは主にアジアに分布する種であるため、作中の青い鳥は一般的なハト科の鳥と考えた方が妥当である。また、この作品に因み、今の自分は本当の自分ではないと信じ、いつまでも夢を追い続ける人、例えば、理想の職を求めて定職につかず転職を繰り返す人や、理想の医者を求めて受診する医療機関を頻繁に変える人や、理想の結婚相手を追い求めていつまでも実在の相手を拒否し続ける人などのことを青い鳥症候群という。」
とある。
何と、今では「青い鳥」はある種の厄介な精神病の症状を描写するための比喩として使われているのだ。
これには、異論ありだ。比喩が当てはまらないと思う。
メーテルリンクの「青い鳥」では、チルチルとミチルは突然現れたお婆さんの頼みにより、病気になった娘を助けるために、青い鳥を探す旅にわざわざ出かけたのだ。
そして、まさに六道輪廻巡りを思わせるような、過去や未来、地獄や天国に行く。
そして最後に天国で最高の幸せは「母の愛の喜び」であると知らされる。
母の待つ家に帰って見ると、前から飼っていたキジバトが青い鳥になっていることを見つける。
二人の兄弟には、確かに外の世界に幸せを求めて放浪した時期があったが、最後には幸せは身近な所にある、それは自分の心の中にある「愛」だと気付くことになっている。
だから、この精神病?の病名への転用は適当ではないのだ。
もっとも、こうして青い鳥の写真を撮ることに夢中になってる私などの言うことではないかもしれないが、、、
チベットでは心の精髄・光明の基のようなものを胸の中心にཧཱུྂ(フーム)字として観想する。
このཧཱུྂ字の色は濃い群青色と言うことになっている。
私はいつもチベットの空の色を思い浮かべることにしている。
もっともこの小さなཧཱུྂ字も最後には空性の理解を象徴する虚空へと消え去ることになっているが、、、
メーテルリンクの「青い鳥」のちょうどいいダイジェスト版がネットにあった。
http://www.geocities.jp/chiruchirumichiru_duo/bluebird.html
私も物語の内容はよく知らなかったが、読むと中々いい話だと思った。
是非子供がそばにいる方など、自分に言い聞かせるようにして、子供に無理やり読み聞かせてやってください。
作者のメーテルリンクは1940年ナチス・ドイツの侵攻を避けるためにアメリカに渡った。
彼がナチスに殺されると思い書いた遺書には「ドイツとその同盟国であった日本には決して版権を渡さないように」と書き記されていたそうな。
彼はこの作品の大成功のお陰で1911年にノーベル文学賞を受賞した。
その4年前、1907年にはチベットファンにはなじみの深い「少年キム」を書いたラドヤード・キップリングが現在も文学賞の最年少受賞記録である41歳という若さで同じノーベル文学賞を受賞している。
こちらは、インドのスラムで育ったイギリス人の子供がチベットの僧侶に出遭うことにより、彼に導かれ、精神的に成長していくという話だが、最近石濱先生の新刊本により日本のチベットファンの間でもよく知られるようになったと思われる。
この「少年キム」を解説したものの中に面白いのを見つけた。
川上徹さんと言う人がこのキム少年を「二十世紀全体主義運動」と絡めながら解説していらっしゃる。
この中のイギリスを中国と比較しながら読むと中々味わい深いものがある。
http://www.doujidaisya.co.jp/204.html
時間が少しある人はお読みください。
嘗てこの家を建てた後、軒先に掛けた鳥の巣用の小屋に、初めてこの青い鳥が巣を作った時には「青い鳥が(も)来た!これで幸せゲット!」何て、喜んでいたものだが、その幸せもすでにどこかに飛び去ってしまって久しい。
それでも、青い鳥を見かけると何となく幸せな気分になる様に訓練してきたので、今でもこの鳥を見つけると特別幸運という思いが持てる。
幸せの元と言うことで思いだした。
先のアメリカ訪問中に法王がNYでチベット人に向かって話されたことだ。
その前に法王は中国人との対話をされていた。
以下、こんな感じだったというだけだが、
法王「チベットを守らねばならないということは、政治的な意味だけについて言っているのではない。もっとも大事なのはチベットの文化や宗教を守ることだ。
世界に貢献できる慈悲を根本とする文化と宗教を守ることが大事だ。
悪しき文化とか宗教なら守る意味はない。無くなってもいいと言えよう。
この前もある中国人にこう言われた<中国の政治形態は何れ変わるであろう。それよりも問題なのは、この60年間の共産党支配により、すっかり堕落してしまった人々の心だ。道徳は地に落ちた、人は平気でうそを言うようになってしまった。
これを元の正常な人の心に戻すには大変な努力が必要であろう。
このことで私たちはチベット人に期待している。
法王を始めとするチベット人の方々に、この中国人の壊れた心を修復して頂きたいと思っている>と。
彼はこの話をしながら涙を流していた。
ただの中国人ではない立派な知識人である彼がそういうのだ。
だから、我々がチベットの文化と宗教を守るのは中国人のためでもあるのだ」
実はこのエントリーを最後まで書いて、「投稿する」を押したとたん画面が白くなりすべてが消えてしまった。
私はほんとに「青くなった」。
「青い鳥」の事なんか書くからこんなことになっちゃった!
エ、エ、エ、、オマニペメフン、オマニペメフン、、、もう一度同じことを始めから書けと言うの!オオオマニペメフン、、、
実に「忍耐が幸せの元」と自分に言い聞かせながら、こうしてオマニペメフンとともにダブル書きされたのがこの「青い鳥」エントリーというわけなのだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)