チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年5月27日
ラサ法廷、チベット人ソナム・ツェリンに執行猶予2年の死刑判決
今回、死刑判決を受けたソナム・ツェリンは「ツァンパを食べるやつはみんな出てきて立ち上がれ!」と叫んだそうだ。
前回、簡単にお知らせした、死刑判決の件、私が訳す前にDaysさんが翻訳解説して下さっていた。
以下、Daysさんのブログを転載
http://www.mobileplace.org/dias
作成者 Days ? 投稿日 2010年05月26日 23時10分 最終変更日時 2010年05月27日 01時23分
チベット人権民主化センター(TCHRD)は、きょう、2008年3月の騒乱に関与したとしてチベット人1人に死刑判決が出されたと発表した。
http://www.tchrd.org/press/2010/pr201005026.html
ラサの法廷はチベット人ソナム・ツェリンに執行猶予2年の死刑判決、他5人のチベット人にそれぞれ3年から7年の有期徒刑の判決を出した。
ラサ晩報によれば、5月25日、ラサ中級人民法院はソナム・ツェリンに対し、刑法289条と263条により執行猶予2年の死刑判決、タシ・チュドン、ケルヨン、イェシ・ツォモ、タヤン、ツェワン・ギュルメの5人については刑法310条により3年から7年の有期徒刑の判決を出したという。
報道によればソナムは2008年3月14日の暴動に関わり、民衆を煽動した容疑で起訴されていたという。彼は駐車車両や商店に放火し、警備車両を横倒しにした数百人の民衆を煽動したと言われている。また彼は警備車両の上に乗り、ナイフをかざして、反政府スローガンを叫んだという。他の5人のチベット人は彼に隠れ家を提供し、国外に逃亡しようとするのを助けた容疑。
ソナム・ツェリンは23歳。四川省カンゼ(甘孜)チベット自治州のペユル(白玉)県ラチャプ(熱加)郷の半農半牧の家庭の出身で、ツェリン・サンドゥプとヤンキのあいだに生まれた。2007年の暮れに巡礼としてラサに赴き、そのまま滞在していたが、2008年3月にラサで騒乱が起きた際、彼は暴徒に積極的に加わったという。その17ヵ月後、2009年10月中旬に彼は逮捕された。
ソナム・ツェリンへの死刑宣告で、これで極刑を言い渡されたチベット人は7人になった(うち2人は執行された)。中国政府に対するチベット全土にわたった抗議に関しては他にも450人以上のチベット人が有期、無期の判決を受けている。
度重なるチベット人の抗議は、実力で弾圧しようとする政府と検察、司法当局による数十年間の失策を浮き彫りにしている。中国政府と宣伝部は国際社会に対してチベットの平和的抗議を犯罪的行為のイメージで覆い隠そうとしている。
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付け加えると「ソナム・ツェリン」は日本で言う「鈴木一郎」のような名前で、同じ学校に数人の「ソナム・ツェリン」がいることも珍しくないそうだ。
また中国の「執行猶予」は、日本のとは異なり、「2年」ならば2年後に否応なく執行される。
中級法院は地方裁判所にあたる。中国は二審制なので、上告すれば高級人民法院で判決が確定することになる。司法(人民法院と人民検察院)が政治(全人代)とは分離されていないことも「三権分立制」の日本や西洋諸国と異なるところ。
ラサ晩報は法廷での検察側の起訴事実を引用している。それによれば、ソナム・ツェリンは「バルコル(八廓街)でナイフを振り回し、人々を煽るようなスローガンを叫び、群衆に混じってバルコルからジョカン(大昭寺)広場に入った。広場の北側に着くと、駐車されたパトカーの屋根に登り、大声で群衆をアジり、ナイフでパトカーを損傷した。100人以上の群衆がパトカーに火をつけ、ジョカン一帯の駐車車両と商店は暴行と破壊、略奪、放火に遭った。直接の経済的損害は4000数万元に達した」という。
裁判は「厳格な規定によって行われ」、通訳2人のほか、被告人6人それぞれにチベット人弁護士がつき「被告人の権利は十分尊重されていた」「各界各民族50数人が傍聴した」とラサ晩報はわざわざ付け加えている
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)