チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年4月20日

ダライ・ラマは私たちの太陽/チベッタン・マスチフを救助せよ

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ダライ・ラマ法王を太陽と崇める、被災地のチベット人たちが、苦しみの中から法王の名を呼び、助けを請う。
一目でも実際にお目にかかりたいと祈る。

普通の国なら、人道的配慮により、地域国民の幸せを思い、この慰安の旅行はウエルカムということになる。
テントや食料を頂くことももちろんうれしいが、被災者にとってダライ・ラマという超級プレゼントに勝るものはないからだ。

ダライ・ラマ法王は、心身の苦しみを一瞬にして消し去ってしまう太陽だから。

この辺の事情を現地に入られた共同通信さんがレポートして下さってる。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010041901000581.html

jジェクンドの地震被災地に掲げられたダライ・ラマ法王の写真<ダライ・ラマ「被災地に来て」 募る住民の思い>

【玉樹共同】中国青海省地震の被災地、同省玉樹チベット族自治州玉樹県で、チベット族の住民らがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の被災地訪問を強く望んでいる。中国当局はダライ・ラマを祖国分裂勢力とみなしており、住民らも表だってダライ・ラマの訪問を要求することはないが、厳しい避難生活が続く中、心の中で精神的支柱への思いを強くしている。
 玉樹県結古鎮の避難所のテント内で薬草商の男性(55)がぼうぜんと座り込んでいた。住む家は倒壊し、義理の母(82)を失った。男性は「今は金も物も何もいらない。ダライ・ラマに来てもらいたい。それがみんなの願い。来なければ、何をもらったとしても心が満たされることはない」とこぼした。
 子どもも同じ思いだ。胡錦濤国家主席が被災地の激励に訪れた18日、避難所でチベット族の小学生らが胡主席の視察を話題にしていた。その中の1人は「でもうちらにはダライ・ラマがいる。ダライ・ラマは太陽だ。本当に(被災地に)来てほしいのは…」と話した。

東京新聞 2010年4月19日

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ジェクンドは実は遠い昔からちっとは栄えた街だのだ。
吐蕃/唐時代には平野部からラサに向かうメインルートはこのジェクンドを経由していたという。交易の中継点として栄えていたのだ。
街の人口3万というと、チベットでは大都市の部類に入る。
「ジェクンド」は現地発音で、ラサ辺りでは「ケグド」または「キグド」と呼ばれる。
「ユシュル」と呼ばれることもある。
中国名は「結古」(ジェグ)でその音写。

で、ジェクンドの住民の97%はチベット人ということになっている。
本当は90%ぐらいかも知れないがそれにしても、チベット人が大多数を占める。
そのせいで、ここではチベット人が中国人よりも強い。
自治のようなものも比較的認められていたという。
昔から僧院の力が強かったのだろう。
だから、たとえば2008年にも、ここでは何の抗議デモも起こらなかった。
弾圧がなければデモもないという実例だ。

だから、僧院も一般のチベット人もダライ・ラマ法王の写真を大ぴらに掲げていたという。
地震の後、ガレキの中に法王の写真を見つけ、拾い上げた中年の女性は、すぐに写真を頭上に掲げ、涙声で祈りの言葉を口づさんだ。
それを見た、周りのチベット人たちは次々とその写真を受け取り、同じように頭上に掲げ祈った。

これは、もうどの番組だったか忘れてしまったが地震後の映像の中で見たシーンだ。

RFAなどによれば、地震の後、街を走るタクシーのフロントガラスに大きな法王の写真が飾られていたりするそうで、それを見つけるとチベット人はみんなそのタクシーに向かって手を合わせるという。
商店のショーウインドーにも掲げられていたという話もある。
(そう言えば、、、この話を二日前のコメントに書いたら、それに対するドルマさんというチベット名を使われる中国の方と思われる方から、それは「インドのタクシーが、肉感的女優の写真とガネシュの写真を並べて貼っているのと同じです。」というコメントを頂いた)

火葬が行なわれた丘のそばには仏壇がある。
大きなテントが張られ、その中では僧侶と遺族が集まり、昼夜死者を弔う儀式が行なわれている。
その仏壇の一番上には大きなダライ・ラマ法王の写真が掲げられているという。

本当に法王がジェクンドを訪問されるということになれば、、、、
チベット中の全てのチベット人がジェクンドを目指すということになる。
これは間違いないことだ。

RFAを通じて法王のメッセージなどは全て現地に伝えられている。

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ジェクンド地震、チベタン・マスチフ救助?話題を変える。

ジェクンドはチベッタン・マスチフと呼ばれる、現在世界で一番高値が付く犬の産地としても有名だ。
このお犬様、もともとチベットの遊牧民が狼よけ等のために飼っていた牧用犬だ。
犬の古い原種の血を引くとかで、図体が大きく、まっくろ、首のまわりにはライオンのたてがみのようなふさふさが生える。
(でも、一般に性格は獰猛で、私は好きになれない)

地震このチベット犬が最近、中国の金持ちの間で、そのステータスシンボルの一つとして流行るようになったのだとか。
何とこのお犬様に彼らは数千万円払うという。
で、話は写真の説明だが、これらの証拠写真はウーセルさんの昨日付けのブログに載せられていたものだ。
http://woeser.middle-way.net/2010/04/blog-post_9700.html

地震写真はただ、、、ジェクンドの救援隊が人でなく、飼い主を失くした子犬を可哀そうに思い、家に持って帰って飼おうと思ったのか、、、、とにかく救助しているという場面を撮った(撮られた)ものだ。
ただ、問題は、この緊急時に人でなく、犬を救助して笑い合っているという所にあるというより、この子犬がまさにチベタン・マスチフだということだ。

被災地に送られた救援隊や軍隊の、数ある拾いものの内でのこの子犬は金塊を見つけたぐらい嬉しいことなのであろう。
チベット人は食う物がないので商店から食糧を借りたり、弾みで食糧を配る列を乱したりすると殴られ、中には逮捕され市内引き回しの刑にされる。
いつの時代になれば、中国で、このような人たちが罰せられるのでしょうか?

助けようとする僧侶を近づけない救助隊現場に真っ先に駆け付けたのは僧侶たちだった、という話はもう、世界中に写真や映像で広まっているが、ほとんどの中国人はそんなことは知らない。
中国のメディアには最初から、ちゃんとチベットの僧侶たちが働いているところを撮影しないようにと御達しが出ているからだ。

記録に無いものは無いというのが中国式だ。

今日のRFAの報告では、現地には「中国側の救援隊や軍隊、武装警官隊合わせて一万人強。
これに対し、カムを中心に集まった僧侶の数一万人弱」という。
ほぼ、互角なのかというと、一方は装備万端だが高山病で頭が痛い、動くと息切れがする、こんな寒いところに送られたことを恨んでいる。どうせチベット人と話しをしても通じないから関心もない。チベット族を不潔で遅れた民族だと思ってる。目的は宣伝だから、ビデオを撮ったらさっさと引き上げる。

僧侶たちは信頼され、頼みにされていることを知っているので、ただ命を救おう、苦しみを癒そうと一生懸命働く。
高山病なんて全くない。彼らにとっては平地だ。

そういえば、軍人たちの服装は最初から目立たないように迷彩色で、僧侶たちはもともと目立つように考えられた赤い僧衣を着る。
現場では自然に僧衣の方が目立つわけだ。

そうれにしても3万人の街に合わせて2万人の救助隊がやって来たと聞くと、今度は飢餓が起こらないかと心配になるほどだ。

それに戦場の瓦礫の上に立つ兵士たちではないが、実際何かの衝突が起こらなければいいがと思う。今のところ、僧侶たちはいくら嫌がらせを受けても黙って忍の行を実践しているようだ。

ジェクンド日曜日に胡錦涛主席が現地訪問を行なったが、この前の日ぐらいからやっと食糧やテントの配給が始まった。一気にドット来たようだ。
その前には僧侶たちの炊き出しが食うもののない人たちを主に助けていた。

外にはもちろん報道されていないが、RFAに入った電話によると、胡錦涛が現地に入る前の日に一団のチベット人たちが食糧や水を寄こせと叫びながら行進するという事件があったのだ。
武装警官隊に囲まれた後、衝突ではなく話合いが行なわれ、その後解散したという。

胡錦涛主席が実際に現地を視察した時には、沿道から何度か「食いものをよこせ!」「水をよこせ!」とか「お前に来てほしいわけじゃない」とかいうヤジが飛んだとか。
さらに、あるチベット人は胡錦涛主席が握手を求めて手を出したのにそれに応えなかったとか。
私が青海テレビで見た、胡錦涛氏がある学校を訪れた時、一緒にカメラの前に並んでポーズをとる子どもたちの表情が如何にもうっとうしそうだった、ということなどがあったようだ。

まだ人が埋まっているガレキの上には至る所に中国国旗が突き立てられた。

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ジェクンド 18.4.2010一つ不思議なのは、中国は現地がチベットの奥地で、高地で、言葉が分からないので、救援活動が遅れるし、効果的に行なえないと口実ともとれる話を繰り返すことだ。

まず、私に言わせれば、3700mはちっとも高くない。
ジェクンドはチベットの中では高い所にある町の内には入らない、むしろ低いぐらいだ。3700mで倒れるようなやわな隊員を連れていくなといいたい。

だめと判っているなら最初から酸素ボンベを多量に持って行けばいい。

ジェクンドには地震j発生時に700人の軍人がいたが、最初の日の夕方まで一切彼らは動かなかったという。
その後もなぜ、周辺のカンゼ、セルタ、ダンゴ等にいくらでも溢れている、高度順応ばっちりで言葉にも少しは慣れた武装警官隊、軍隊をすぐに救助に向かわせなかったのか?
手薄になると危ない、心配だというなら、順次新しいのを抜けたところに送ればいいしだ。

どうしても、省都の西寧から全てを送る出すところを撮影したかったとしかおもえない。
派手に大型輸送機が飛んで行く姿も流せるしだ。
被災地のすぐ近くには大型ジェット機が発着できる玉樹空港がある。
それでもジェクンドはチベットの山奥の僻地なのか?

確かに遠い西寧まで車で搬送される前に亡くなった重傷チベット人も多かったときくが。

以下、BBCの現地映像です。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8627206.stm

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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