チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年4月4日
ダラムサラの野鳥・その11、飛ぶ鳥、獄中歌
野鳥を見ていると自分が少し自由になったような錯覚が得られる。
時に野鳥は自由の象徴にもなる。
その多くは尼僧たちにより歌われた、チベットの獄中歌の一つに確か、「私がもしも鳥になれるなら、父母のもとに飛んで行き無事を知らせたい。心配しないでいいと言う、、、」という一節があったと記憶する。
監獄の鉄格子の入った小さな窓から外の鳥を目にして、思いついた歌詞だったかもしれない。
監獄で歌を歌ったと言えばガワン・サンドルさんが有名だ。
彼女の自伝は「囚われのチベットの少女」と題して日本語にもなっている。
http://www.transview.co.jp/06/top.htm
10歳の時デモに参加したとして二週間拘置所に繋がれ、12歳の時同じくデモに参加したとして今度は3年の刑を受けた。
ダプチ刑務所内で他の13人の尼僧とともに分裂主義的歌を歌ったとして6年刑が延長された。
その後刑務所内で「チベットに自由を」と叫んだとして8年延長。
98年、刑務所内で行われた中国国旗掲揚の式典に出席することを拒んだとしてさらに6年延長。
合計23年の刑期。
しかし、彼女の身体は度重なる激しい拷問が故に衰弱しきっていた。
世界中のチベット支援者たちが彼女を救うために署名活動など様々な運動をおこなった。
これが実を結びガワン・サンドルさんは2002年解放された。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51198296.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51101231.html
http://blog.studentsforafreetibet.org/2009/01/profiles-of-courage-day-41-january-29th/
「囚われのチベットの少女」の中より彼女たちがダプチ刑務所内で歌った歌を三つ紹介する。
13番目の独唱
窓から眺める
空が唯一の景色
この浮き雲は
両親のように思える
私たち監獄仲間は
宝珠(ダライラマ)を探しに行く
殴られても構わない
お互い組んだ腕は離さない
東の空は地平に留まってはいけない
陽が昇る時がやってくる
私の心はダライラマ
生まれ故郷を後にした
でもチベットの3地区は結ばれて
仏教を守るために
中国人を追放せねばならない
ここ一両年に
私たちは独立する
私たちの食事は豚の餌
殴られ、乱暴に扱われ
監獄の苦しみの際限がない
でもチベット人民の決心の固さに変わりはない
決心は変わらない
ガワン・サンドルさんは2008年3月のラサ蜂起に参加し死刑を言い渡された、ロプサン・ギェルツェンとロヤを助けようと彼らの解放を訴えるビデオを作られた。
しかし、世界中の訴えにも関わらず、彼らは2009年10月20日、処刑されてしまった。
ビデオは以下:
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)