チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年1月23日

テンジン・デレック・リンポチェ解放署名キャンペーンにご協力を!

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テンジンテンジン・デレック・リンポチェの新しい署名アクションが政治囚キャンペーンサイトthe Free Tibetan Heroesにて公開されました。 このオンライン署名アクションでは、署名をすると記載した署名の横に、赤い朱肉による拇印を真似たデザインが表れます。

これはチベットのリタンでテンジン・デレック・リンポチェの再審を求めて、現地チベット人4万人が署名した嘆願書を真似ています。本土のチベット人の必死の行動を応援するために,3月10日までに同数の4万の署名を集めるアクションにご協力ください。

私たちは、テンジン・デレック・リンポチェに対する判決を認められません

http://freetibet.holy.jp/2010/01/
テンジン-デレック- リンポチェ-釈放要請/ダウンロードは上記のサイトから行ってください。

http://www.freetibetanheroes.org/home.php/profiles/tenzin-delek-rinpoche/petition
拝啓

周永康書記

テンジン・デレック・リンポチェ(中国語名;阿安扎西)はあなたが四川省党書記であった時期に、中国当局の不正義な判決により刑に服しています。カムのリタン(中国語表記;四川省理塘)の人々同様に、私たちも テンジン・デレック・リンポチェの判決を認めることができません。彼の刑を裏付ける十分な証拠がこれまで一度も、提出された事はありません。敬愛される仏教の指導者であるテンジン・デレック・リンポチェが“爆弾事件の首謀者”として関与しているとは、とても信じがたいことです。

よって、私たちは、ここにテンジン・デレック・リンポチェの独立司法処置を受ける事と公開された再審の開始を以下の3点に基づいて、求めます。

1、証拠不十分

2、本人が一貫して無実を主張していること

3、彼の影響力が中国当局に取って目障りな存在だったとチベットにおいてや、世界中で信じられていること

もし、再審でテンジン・デレック・リンポチェの刑に対する十分な証拠が無き場合、私たちは彼の即時釈放を要請します。

署名

紙署名の日本語バージョンはhttp://freetibet.holy.jp/
2010/01/からダウンロード出来ます。どうぞ、ご自身でプリントしてお使い下さい。

テンジン・デレック・リンポチェはチベット東部リタン出身でその地域の人々に敬愛されるチベット仏教の高僧であり、指導者です。彼は現在、“爆弾事件の首謀者”との疑いをかけられ四川省の刑務所で終身刑に服しています。

彼は2002年に行われた秘密裁判で死刑の判決を受けました。

裁判は最低限の国際司法の基準も満たしておらず、彼が実際に犯罪に関わったと確定出来る証拠もありませんでした。

彼のために世界中でわき起こったキャンペ-ンの後、2005年にテンジン・デレックの死刑は終身刑への減刑されます。

そして、それからもチベット人とその支援者達は休む事無く,彼の釈放を求めて世界中で声を上げ続けています。

2009年6月、テンジン・デレック・リンポチェは刑務所へ面会に訪れた地元住民に対しこう語ったと言われます。

「私は無実だ。判決を覆し、私の無実を証明するために、可能な事をしてほしいと皆に伝えてほしい」

そしてその後、40,000人もの地元住民チベット人が。彼等の指導者である高僧の公平な判決を求め、嘆願書に署名しました。多くの署名は指印という形で行われました,そしてテンジン・デレックの親族はそれを持って北京の中央政府のもとへ届けようとし、リタンのチベット人達は街の中心に集まって彼の釈放を求めました。

どうぞ、テンジン・デレックの再審を求め、もし犯罪への関与が確定できる証拠が無い場合は、彼を釈放する旨を要請する署名にご協力下さい。署名は周永康書記ZhouYongkang(写真右)中国共産党高官に届けられます。周永康書記は2002年にテンジン・デック・リンポチェが逮捕された際に四川省の党書記であり、現在は中国共産党中央政法委員会、周永康(政治局常務委員)として中華人民共和国全土の治安、司法、検察、公安などの部門を主管する役職にあります。

テンジン・デレックの上訴が却下されてからと、同時期に逮捕されたロブサン・ドンドォップが処刑されて、ちょうど7年目の1月26日はテンジン・デレック・リンポチェ世界一斉行動要請日です。

世界中でテンジン・デレック・リンポチェの釈放を求めてアクションが展開されます。

サイトからテンプレや写真を自由にダウンロードして、ご活用ください。

(翻訳:若松えり)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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