チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年9月27日
1987年9月27日ラサ蜂起記念日
22年前の今日1987年9月27日、ラサのジョカン寺の前に突如赤い僧衣をなびかせながら、二十数名のデブン僧院の僧侶たちが、チベット国旗を掲げ、チベットの自由を訴えた。これは文革以来中国で始めての政府に対する抗議デモであった。天安門事件の起こる二年前のことである。
初めは何事が起ったかと、あっけにとられていた周りのチベット人たちも、やがてその僧侶たちの決死の行動の意味を涙とともに理解し、一人一人その列に加わった。ジョカンを一周した頃にはその数は千人を越えていたという。
もちろんこのときデモを先導した僧侶たちは全員逮捕され、拷問を受け、長期の刑を受けダプチ刑務所に送られた。もっともパンチェン・ラマのお陰で早めに出所できたものも多かった。
彼らの多くはその後インドに亡命した。
このデモはチベットのみならず中国本土にもその後大きな影響を与えた。
ラサでは一週間後に、今度はセラ僧院の僧侶たちが先導する大きなデモがあった。
このとき当局はデモ隊に向かって容赦なく発砲した。今だ、正確な犠牲者の数は解っていない。
翌1988年3月にはガンデン僧院の僧侶たちがモンラム際の最後の日に決起した。
このときには一万人近いチベット人が声を上げた。発砲もあり、犠牲者もでた。
そして、その後5年間ほどの間に数百回のデモが行われた。
その多くは数人のグループで僧侶、尼僧たちが拷問と死を覚悟し、次々とジョカンの前でチベットの自由と法王の帰還のために声を上げ、逮捕されていった。
今日は朝早く6時半からまずダラムサラのラギェリで朝のお経を唱えた後、9-10-3元良心の囚人の会主催の集会が開かれました。
夕方から再びキャンドルライト行進とツクラカン前での集会が行われます。
写真最初の一枚は1987年9月27日ジョカン前。
先頭に立つのがデブンの僧侶たち。
左の写真は今日の朝の読経会。
右端に9-10-3の会、現会長の僧ガワン・ウーパルが映っている。
彼もこのときのデモを先導したデブン僧侶の一人だ。
左端にラモ・ツォの姪ソナム・ワンモの姿も見える。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)