チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年9月22日

北京支局/ニュー・デリー支局

Pocket

最近久しぶりに日本人記者グループにラサ取材許可が下りた。
もちろん政府のコントロール・ツアーであったが、それぞれの記者はできる限り現状を伝えようと努力して下さっているようだ。

以下読売(訂正・産経)と毎日です。

暴動から1年半 チベット自治区はいま – MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n3.htm

 ライトアップされ闇夜に浮かび上がるチベット自治区ラサの象徴「ポタラ宮」。観光客や市民でにぎわう宮殿前の広場には中国国旗の「五星紅旗」がたなびき、広場中央に塔が鎮座する構図が北京の天安門広場を彷彿(ほうふつ)させる。今回で27回目を数える日中記者交流計画の一環として、昨年3月にチベット仏教の僧侶らによる大規模暴動で揺れたラサを訪れた。ダライ・ラマ14世を最高指導者とするチベット仏教の聖地は表向き平穏を取り戻していたが、暴動を誘因したチベット族と漢族との格差は、いまなお市民生活の端々に根強く残っていた。

 12日午後5時31分、ラサ行きの青蔵鉄道K917は定刻通り、静かに蘭州駅を離れた。ラサまで2188キロ、約28時間の列車の旅の始まりだ。

 中国政府が推し進める西部大開発の代表的プロジェクト青蔵鉄道は2006年7月、当初の予定より1年早く営業が開始された。建設費は日本円にして4500億円とも伝えられる。

 標高4千メートル以上の高原をひた走る。唐古拉峠で最高地点5072メートルに達した。車内には酸素が送り込まれているものの、高山病の前兆だろう。徐々に頭が重くなってきた。

 酸素チューブを鼻に差し込み、4人部屋のコンパートメントに横たわる。車窓の風景が刻一刻と変わっていく。陰鬱(いんうつ)な泥炭地から緑鮮やかな放牧地へ、そして太陽が沈みかけたころ、山頂付近に雪をかぶった山並みが現れた。
  
■環境保護の犠牲者

 青蔵鉄道はモノと漢族の流入、開発を促した。沿線の環境破壊に対する危惧(きぐ)は、チベットが抱えていた環境問題への関心を高めた。

 その一つが気温上昇による氷河の減少である。エベレスト(中国名チョモランマ)の中国側では過去40年で氷河の境界が170メートル上がった。凍土の面積も減った。自治区内の降水量が減少し、砂漠化が進んでいる。

 中国は06年、二酸化炭素(CO2)排出量で米国を抜き世界1位に躍り出た。だが、チベット自治区環境保護局の張天華副局長は1人当たりの排出量は多くないことを理由に「気温上昇の責任はチベットにはない。温暖化の原因は先進国の工業化のためだ」といってはばからない。

 地元政府はこれまで、セメント工場9カ所、製鉄工場7カ所、紙工場4カ所を閉鎖した。チベット自治区の08年のGDP(国内総生産)は395億元。50年前の98倍というが、漢族主導の第3次産業によるところが大きい。農産物加工場を転職先に挙げた張副局長は、チベット族を多く含むとみられる失業者全員を救済できたかについては言葉を濁した。

■今年は黒い年

 10月1日に建国60年を迎える中国政府が、今もっとも重視しているのが国内の安定である。昨年暴動が発生した自治区は、記念式典が行われる北京市内と並ぶ重点警戒地区である。

 「警備の厳しさは感じない。武装警官の姿も以前ほど多くない」。運転手の男性(35)はいう。しかし、公安当局や武装警察は一部の重点地域で警戒を強めている。暴動の発端となった抗議行動が起きたジョカン寺(大昭寺)周辺など市民が集まる場所には、監視カメラが設置されている。念頭にあるのはダライ・ラマ14世の動きだ。

 崔玉英自治区共産党常務委員は「ダライ勢力がチベット各地で反政府活動を展開している」と述べた。自治区新聞弁公室の索林主任は「ダライはデマを飛ばして人々を扇動しようとしている」と主張。しぶしぶ明かしたデマの内容は「今年は黒い(悪い)年なのでチベットで新年を過ごしてはいけない」「今年は農作業に向いていない年だ」というもの。人々の不安をあおり、暴動の下地を作っているというのが自治区政府の言い分だ。

■徹底した“教育”

 チベット族にとって宗教は生活と密着している。寺院では信者が地面に伏して「五体投地」を繰り返す光景が日常的だ。

 各戸には小さな祭壇が備え付けられている。ラサの東12キロに位置する村で農牧業を営む平措礼西さん(58)は1973年に共産党に入党、規定に従い信仰を捨てた。客間に毛沢東や江沢民の肖像を飾る平措礼西さんの家でさえ祭壇は残されている。

 宗教指導者として庶民の心にとどまり続けるダライ・ラマ。国務院新聞弁公室の銭小芋副主任は「ダライ・ラマの本当の姿を分かってもらうこと」が暴動再発の防止策だという。

 文化保護をアピールするため自治区内の小学校ではチベット語教育が盛んだが、児童や親が望むのは漢族との収入格差を縮めるための高等教育だ。平措礼西さんも、ひざに抱いた孫娘の大学進学が願いだと漏らした。

 チベット族の子弟が通う城美区第2小学校に、農奴解放前の圧政や昨年3月の暴動を批判するパネルが飾られていた。これが、政府が喧伝(けんでん)する“教育”の実態である。(中国チベット自治区ラサ 川越一)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

チベット:監視と警戒、祈りのラサ 暴動後初、日本取材団を許可

http://mainichi.jp/select/world/news/20090919dde007030011000c.html
 中国政府が実施した日本の報道陣向けの取材ツアーでチベット自治区ラサに入った。昨年3月に大規模暴動が起きた自治区への日本からの取材団を中国側が認めるのは初めて。区都ラサは観光客であふれる一方、10月1日の建国60周年を控え、厳戒態勢が敷かれていた。【ラサで宮川裕章】

 ◇多数の武装警官
 午前6時。夜明け前の暗がりの中、ラサ中心部のジョカン寺(大昭寺)前の広場で、約50人の巡礼者が地をはうようにして祈る「五体投地」を繰り返していた。

 寺は自治区内各地から巡礼者が訪れるチベット仏教の聖地。昼には観光客と巡礼者でごった返す。自治区東部チャムドから5カ月かけて来たというチベット族のシュンツィンチャンツォさん(32)は「家族の幸せと人類全体の平穏無事を祈りに来た」と話した。

 だが約30メートル先のテントには、ヘルメット姿の武装警察5人が待機し、巡礼者と観光客をにらむ。約1キロ離れたもう一つの代表的寺院ラモチェ寺(小昭寺)につながる小昭寺路にも、武装警察が多数配置され、周囲を警戒していた。昨年の暴動は、この地区で起きた僧侶の抗議行動がきっかけになったとされる。

 ◇「再発あり得る」
 自治区政府の幹部は会見で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を名指しし、「(暴動は)外部の分裂勢力が僧侶らを扇動した。我々はこれを阻止し、今は社会は安定している」と主張した。一方で「また暴動が起きるかもしれない」と不安ものぞかせた。

 ラサ市中心部から東へ12キロの農村。中国政府が取材先に指定したチベット族の農家、プンツォクタシさん(58)宅を訪ねた。ステレオセットのある応接室の壁には毛沢東の肖像画がかかる。73年に共産党に入党したプンツォクタシさんは「中国政府の少数民族優遇政策の恩恵で自分は豊かになった」と繰り返した。政府関係者が同席する前で「ダライ・ラマ14世を尊敬するか」と記者が問うと、「(歴代)すべてのダライ・ラマを宗教的指導者として尊敬してきた」と答え、一瞬緊張した空気が流れたが、「彼はやるべきでないことをやっている」と付け足した。

==============

 ■ことば

 ◇チベット暴動
 北京五輪を前にした昨年3月14日、ラサで独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。デモには約400人が参加し、中国政府によると市民18人と警官1人の計19人が死亡、負傷者は300人以上に上った。

ーーーーーーーー

この記事などホントに頑張って書いてくれてると感じるのですが、だから余計残念なのは最後の「ことば」です。デモの参加者がたったの400人で内300人負傷、、、、と、中国が発表しているのでしょう。数字自体、ふざけています。

外国メディアならこの後に必ず「しかし(一方)チベット亡命政府側はデモ参加者数万人、死亡者220人、、、、と常識的に書くであろう。でないとこれが毎日新聞の公式見解と取られることでしょう。チベット人のデモを「暴動」と定義してるし、ラサだけで起ったデモと読んだ人は思うでしょう。

このあたり、意地悪に言えば、昨今上野で「チベット人は存在しない、チベット族のみがいる」といった日本人のように、中国の見解のみを採用するという、属国化現象のあらわれと取られないこともないわけです。
きっとデスクが後から要らないことを付け加えたということでしょうかね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次は、読売インド支局から。インド・中国国境問題について。
読売(訂正・産経)さんは今年から(いや去年からだったか?)インド支局を新設されました。
女性の田北さんが一人で奮闘されています。

ーーー

国境問題でインドメディアが「中国脅威論」 政府は火消しに躍起 – MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090921/asi0909212223006-n1.htm

 【ニューデリー=田北真樹子】インド政府が、中国との国境沿いの情勢をめぐる過熱報道を自制するよう、印メディアに求める事態になっている。政府にとって、スリランカやパキスタンなどインドの周辺国で存在感を高め、根強い不信がある中国は、いまや最大の貿易相手国でもある。それだけに対立は得策ではなく、メディアの“刺激”が続けば「誰かがどこかで冷静さを失い間違った方向に向かうかもしれない」(ナラヤナン国家安全保障顧問)と懸念を強めている。

 「インド・チベット国境警察の兵士2人が、2週間前に中国側からの発砲で負傷」。インド紙タイムズ・オブ・インディアは15日付の1面で、情報筋の話として報じた。外務省報道官は「報道は事実に反する」とすぐさま反論。その後、シン首相やカプール陸軍参謀長も「中国首脳とは連絡を取っている」「国境沿いで何ら深刻な事態はない」と、事態の沈静化を図った。同時に、内務省は発砲記事を書いた記者2人を刑事告発し、情報源を明らかにさせる方針だとの報道もある。

 今年に入ってインドでは(1)東北部アルナチャルプラデシュ州での水資源開発に対するアジア開発銀行(ADB)の融資を、中国がつぶそうとした(2)8月下旬にシッキム州ナトゥラ峠で両国軍が衝突した-などの報道が相次いだ。政府はいずれの報道も否定するか、沈黙を守っている。クリシュナ外相にいたっては「国境は平和だ」と明言し、メディアは「外務省は中国の“侵入”に目をつぶるのか?」とかみついた。

 政府がここまで火消しに躍起なのには、いくつか理由がある。

 印中両国の2008年の貿易額は、前年比34%増の520億ドルに達した。また、世界貿易機関(WTO)や地球温暖化をめぐる問題では、同じ新興国として先進国と対(たい)峙(じ)するために、中国との連携がインドには欠かせない。西側に緊迫した状況が続くパキスタンとの国境を抱えるだけに、東側の中国との国境問題で必要以上に波風を立てたくないとの思いも強い。

 「合意された国境がないこと」(クリシュナ外相)が問題の根源だが、05年以降、両政府による国境問題特別代表者会合が開催されており、インド側はこの場での協議を優先させたい考えだ。インド側による中国側への “国境侵入”もあり、中国側を過度に追及できない弱みもある。

 こうした中、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は、アルナチャルプラデシュ州を11月に訪問する計画だ。これまで中国に配慮し訪問を阻止した経緯もあるとされるインド政府は、今回は容認する方針を明確にしている。

 サブラマニアン・スワミー元法相は産経新聞に「最近の印中間の緊張はメディアがあおっている。両国間には相互不信があり関係は疎遠になっている。状況改善は可能だが、努力が必要だ」と語る。戦略専門家のP・Nケーラ氏は「両国間の戦争の可能性は低い。経済があらゆる方面に影響を及ぼしており、今以上の経済発展を遂げるには戦争をする余裕はないことを、両国とも痛いほどわかっている」と指摘する。

 インド・中国国境問題 インドの旧宗主国の英国が設定した境界線を国境とするかどうかをめぐり、認めないとする中国と、独立インドが対立。チベット問題もからみ、1962年に武力衝突に発展した。現在でも双方が合意、画定した国境線はなく、両国は共有する約3500キロにわたる国境線に沿った地域をめぐり対立している。主な係争地は西部カシミール地方のアクサイチン(中国実効支配)と、インド東部アルナチャルプラデシュ州(インド支配)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後は、
レコードチャイナ 
http://www.recordchina.co.jp/
2009年09月22日

<中印>領土問題絡みの対インド融資を阻止、「日本も味方に」?―中国紙

2009年9月20日、中国紙・環球時報は、中国とインドが領有権を争っているアルナーチャル・プラデーシュ州への支援を含めた対インド融資をアジア開発銀行(ADB)が否決した問題について、「中国の抗議の成果が実った勝利」と報じた。

18日付インド紙インディアン・エクスプレスによれば、6月に行われたADB加盟国による投票では圧倒的多数でインドへの29億ドル(約2670億円)の貸付が認められたが、中国が猛反発。これにより、先月の表決ではインドは欧米諸国の大部分から支持を得たものの、日本やオーストラリア、東南アジア各国が反対したことで、勝利の女神は中国に微笑んだ。インドが3月末に提出した融資申請書には用途の一部に同州の水利プロジェクトが盛り込まれていたため、中国は6月の投票以降、同州がインド領であるとADBが暗に認めたとして、強く抗議していた。

環球時報は、融資が否決されたことは「中国の影響力が強まった証拠」と強調。インドは大きな打撃を被ったはずだがいまだに沈黙したままだとして、「勝利宣言」を行った。(翻訳・編集/NN)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)