チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2009年8月19日
ヒカリゴケ
今日の午前中、裏山に登りました。
何で、こんな時期に、ですが、ちゃんと目的があったのです。
朝、6時半ごろ、家を出てバイクで2000mほどの所まで行き、7時ごろ登り始めました。みんながいつも登るトリウンドと呼ばれる丘へではなく、尾根に向かって直登しました。
嘗て、確かに山の上の洞窟の奥で見た、「ヒカリゴケ」を再び見つけ出し、写真に撮ろうと思ったのです。
その「ヒカリゴケ」は特別なのです。
ルビーのように強く赤く輝いていたのです。
私は嘗て20年も前ですが、その洞窟に一夜を明かし、じっとその不思議な苔を枕許に眺めていたのです。
以前から、「ヒカリゴケ」なるものが存在することは知っていた。
子供のころ読んでいた忍者物のマンガの中で、子供がヒカリゴケの洞窟に落ちるというシーンに「ヒカリゴケ」の説明が入っていたのを覚えていたからだ。
そして、最近ランタン谷に行ったあと、高山植物図鑑を眺めているとき、ふと、この「ヒカリゴケ」のことが思い出された。
さっそくネットでその写真を漁った。
数枚見つけたが、何れも光はグリーン色。
説明には「ヒカリゴケ(光苔、学名:Schistostega pennata)はヒカリゴケ科ヒカリゴケ属のコケで、1科1属1種の原始的かつ貴重なコケ植物である。その名が示すように、洞窟のような暗所においては金緑色(エメラルド色)に光る」とある。
では、私の見た赤く輝く苔は何だったのだろう???
幻、幻覚だったとは到底思えない。(何度も本当の幻覚も見たが、その時、或いはその後、あれは幻覚であったと確信できるものだ)
確かに洞窟の一番奥で数十の苔が鮮やかな赤い光を放っていた。
いや、きっと新種に違いない!
これを写真にでも撮れば一躍「赤い光苔」の発見者としてネーチャー誌で有名になるに違いない、と夢を見た。
とにかく一度この雨季にその洞窟まで行ってみようとその時から考えていたのだ。
午後は雨になることが多いので、早めに登って降りようと思っていた。
しかし、登りは長く急な坂の連続で汗を沢山かかされた。
それでも、歩くそばには花もあり、見下ろせばダラムサラは真下で、遠くインド平原の始まりが見渡せた。
結局2800mあたりにある目当ての洞窟まで2時間ほどかかった。
しかし、何とそこにはガディーと呼ばれるこの辺の遊牧民が住み込んで居たのだ。
入口あたりに可愛い子牛が繋がれている。
誰かいるのかな?と思っていると、中から「ナマステ!カム!」と声が掛る。
中に入って行くと、人の良さそうなガディーのおじいさんが火の前に座っている。
ここへ座れと、毛布を敷いてくれる。
「この辺の洞窟で光る苔を見たことがないか?」とさっそく聞くが、、、言葉もよく通じず、「わからんな」と言われただけだった。
しばらく火の前でゆっくりした後、さあ、雨も来そうだし行こうかな、、、と立ちかけると。おじいさん「まあ、ゆっくりして行け。今、飯もできるところだ。食べていけ。いや、急ぐならチャイはどうだ。いやミルクがいい。搾りたてが沢山あるぞ」と言う。
そうか、水を持ってないので、確かに喉は乾いているし、一杯貰おうと、座り直した。
砂糖入りのそのミルクは本当に美味かった。100%搾りたてだった。
そのあとビディーを吸えと懐かしいビディーを渡される。
そのあと笛を取り出し、ガディーの曲を聞かせてくれた。
私は嘗て、ダラムサラに住み始めたころ、この裏山が好きになり、何度も山に通った。
至る所の洞窟に泊まった。
挙句の果てには岩山の麓にある4000m近い洞窟に数か月住み込み、その間にも1500mほどの所にあるチベッタン・ライブラリーで毎日行われている先生(仏教の)の講義には欠かさず通っていた。
下り5時間、登り6時間はかかる。
バカとしか言いようのない毎日だった。
先生から時に「お前は最近山に住んでいるようだが、山は気持ちいいか? 怖い動物とかいないのか?座ったりするのか?歩いてばかりか?
ところで、お前にはまだすべて教えたつもりはない。ちゃんと全てよく聞いて、その上で最後の結論を得るために山に行くものだ。
どうせ、ろくなことを考えないであろうから、家族もあることだし、もう山を下りたらどうか」と言われた。
その後しばらくして下りた。
というような昔のことを思い出したりしていた。
気が付くと、外には雲が登って来ていた。
急いで、立ち上がった。
下りながらも、あの洞窟が例のヒカリゴケの洞窟だったとは断定できない、
まだ、洞窟はこの辺に沢山あるし、、、と大きな岩を見つける度に裏に回ってみたりした。
そのうち、雨が降り始めた。
霧のせいで見通しがきかず、道に迷ってしまった。
元々道といってもこのあたりに来る人は少なく道もはっきりしない。
深い急な谷間に迷い込んだ。
足場が悪く何度も滑った。
少し明るくなったとき辺りを見渡し、大きく方向が間違っていることが判った。
又上に登りやっと道に出た。
下りながら、そう言えば、この辺で昔、濡れた石の上で足を滑らせ下に数メートル転落したなと思いだした。
その時、身体は止まったが、突然目の前が眩しくて仕方なくなった。視界が強い光で一杯になった。
と思った次の瞬間気を失った。どのくらい気を失っていたのかは分からないが、気が付くと胸がひどく痛んだ。視界は元に戻っていた。
そんなことを思い出しながら急な滑りやすい坂道を下っていた。
石の上で足が少し滑った。バランスを失い、倒れ始めた、瞬間回りに掴めそうなものを探すが何もない、次の瞬間には頭を下に仰向けに倒れ斜面を落ち始めた。
あ、、、と、その時落ちながらも視野の右手に木の枝が見えた。
その枝を掴むと体が止った。
まるで逆さ釣りのまま止まったのだ。ゆっくりと体勢を起こした。
下を見てぞっとした。偶然そこにあったシャクナゲの枝を掴めなかったら終わってたかもしれないな、と思わせるに十分な崖だった。
足をすりむき、胸を打ったのかしばらく痛かったが、大丈夫だった。
今度は同じように偶然幸運にも山で助かった話を思い出した。
雪のある頃、山で薪を集めていた。
雪の時には下には乾いた薪は落ちて無いので、木の上の方で折れた枝を探すのだ。
急な雪の斜面に大きな枝を見つけた。
その枝を思い切り引っ張った次の瞬間、身体が回転し、頭を下に落ち始めた。
あ!と思ったがまるで視点が定まらなかった。
気が付くと、何と、片方の足が木の枝に挟まり身体は完全に宙ぶらりんの状態で止まっていた。
「助かった!」と思った。
その他,裏山と言ってもそこは5000m近くまである。
いろんな危ない目にあった。もう一つだけ。
高い場所にある、雪の斜面を横切る途中のこと、雪の斜面を横切るときにはいつも緊張するものだが、このときはピッケルも持っていたのでまあまあだった。
足が滑って、滑落し始めた。もうピッケルも利かない。幸い足をしたに早いスピードで滑っていた。
それでも、その下には「氷の滝」があることを思い出し、これはこのままでは確実に死ぬ、と判った。右下に氷の上にちょっとだけ岩の頭が出ているのが目に入った。
滑りながらも身体を右方向に動かした。必死だった。
危機一髪その滝のすぐ上にある岩に飛びつくことができた。
このときもつくづく「助かった!」と思った。
そんなことが続き、今までは不思議な幸運が続いたが、このままでは何時かこの山で死んでしまいそうだ、もう止めよう、と思い、その後長い間、山には近づかないようにしていたのです。
家に帰り、もう一度「ヒカリゴケ」をネットで調べてみる。
「ヒカリゴケは自発光しているのではなく、原糸体にレンズ状細胞が暗所に入ってくる僅かな光を反射することによる。またレンズ状細胞には葉緑体が多量にあるため反射光は金緑色(エメラルド色)になる。」
そうか、考えられるとすれば、その洞窟で夜焚き火をして、それも赤い熾火となり、その赤い光がレンズ状細胞を通し原糸体にあたったことでその苔が赤く輝いて見てた、ということか?
そのレンズ状細胞には葉緑体ではなく赤い何かが多量にあって、それで赤く輝いた、と考えるべきか?
それなら、別種だしね。
いつか、本当に見つけて写真を見せるまでは、結局誰に話しても、信じてもらえない、夢で見た話ということになることでしょう。
それでも諦めず、また、違った季節に登ってみることにします。
結局人生初めから無いものを追いかけて一生終わるのかも知れませんし。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)