チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年7月14日

内に遊びに来る子どもたち、その一

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Tserin Norbu内の家に遊びにくる子供たちの話。

普段は山の中の静かな家だが、月に一度、第二土曜日と次の日曜日にかけて何人かの子供が家に顔を出しに来る。
そのうちの一人はツェリン・ノルブ。
彼は左の絵を描いた子として、このブログでも取り上げたことがあるし、NHKさんも彼の寄宿舎生活を取材し放映したことがある。
私が去年の冬にダラムサラのネレンカン(難民一時収容所)で見つけた、絵のうまい子供で、日本では少しは有名になってる?子だ。14歳の時、例のナンパラ峠越えの途中で中国兵に見つかりシガツェの監獄に二週間だけ入れられた経験を持つが、その時の様子を描くのが上手いのだった。

とにかく最初からなんとなくお互いに気に入り、一か月に一度しかない、学校を出てよい日になると、他に行くとこもないので泊まりがけでスジャからバスで内に来るようになった。
いつもの様に、バスにもまれて汗臭くなって家に入ってくるとすぐに、「今度の試験で順番が上がった。4番になった」と嬉しそうに話す
「前は何番だったの?」
「5番だよ」
「4番って、クラスでなの?全体でなの?」
「OC2(正規のクラスに入る前の準備クラス)全部でだよ。200人はいるよ」
「そうか、そうか、、、すごいね!すごい!すごい!」
と、喜んだ。
この子の笑顔がなんともいえないのだ。もう16歳になるだろうにまったく顔が子供だ。
それもそのはず、この子の生まれ育った場所はチベットの真ん中の山の奥の奥の、世界の果てのようなところだったのだ。
その「地の果てさ」をその日初めて肉眼で確認したのだった。

と、いうのもそれ以前からグーグルアースで彼の田舎を見せてやろうと、何回かトライしたが、あまりの田舎で、彼の知っている近くの町の名前さえ載っている地図がなく、山合いの彼の谷は見つけられなかった。しかし、ちょうど最近良い地図を一つ手に入れていた。
この地図はおそらくチベットに関する限り今だもって一番沢山村の名前まで詳しく載っている地図だ。本当はそのチベット語版が欲しかったが、もう売り切れになって数年経つが再販のめどなしとのことだった。実はこの地図をダラムサラでつくっていたスイス人も、その苦労の様子も良く知っているのだ。彼とはもう15年ぐらい前だろうが、そのころ町にまともなマックは彼と内にしかなかったというデザイン仲間だった。

その彼の地図をノルブと眺めると、はたして彼の村の名前が載っていたのだ。
Sene Gon と地図に書かれているが、Google Earthの中では******と呼ばれ、
チベット自治区ナクチュ地区、、、、とも表記される。

谷合いの川が二本合流する場所の左手の丘の上に集落が見えますが、これはこの辺唯一のゴンパ(僧院)です。彼の話だと文革前にはここには100人以上の僧侶がいたが、文革ですっかり壊され、僧侶は強制的に環俗させられ、廃れたという。
今は再建され老僧ばかり10人ほどが住んでいるはずだという。

彼はこのゴンパの風景をみてはじめて、「はああああ、おおおお、ここだ、このゴンパだ。
house of tserin家はここから近いよ!」と顔を紅潮させて目を輝かせた。
そこから彼の要領をえないガイドに従いやっと彼の家まで、見つけることができた。
そこを教えると、、、北西から下って来る川を遡り、その川に北(北)東から流れ込む3番目の小さな川の谷に入る。入って川沿いにおそらく500mぐらい登ったあたりの左手上の台地に4軒だけの村を見つけられるはずだ。この部分はグーグルの地図もはっきりしている部分で家まではっきり確認できる。
もちろん、彼は自分の生まれ育った家、今両親の住む家に空から一気に近づいて見えるということに、よだれをとばして驚き、喜んだ。
四世帯四軒しかない集落だが、今は一年を通してそこにいるのは一家族だけで、他は彼の家族を含め、冬はラサに住むという。でも夏になると、冬虫夏草が沢山とれるのでそのためにみんな帰ってくるのだという。
私は前から、きっと近いうちにチベットに行くから、必ずお前の村にいくぞといっていた。

谷には車は全くいなかったが、最近冬虫夏草で小金を得た若者がバイクを担いで来て、その谷を行ったり来りするという。
谷には電気はなく、だからテレビもない。電話もないそうだ。
辺鄙のお陰で中国人も一人もいないという。
高度が高過ぎて、中国人は頭が痛くなって長くいれないそうだ。
谷全体に標高が高過ぎ大麦もできず、全員農業を知らない、完全な遊牧民だという。
学校は嘗て一人先生がいて読み書きを教えていたが、その先生が死んで後は学校もないという。
彼は殊勝にも、しっかり勉強した後に、故郷に帰って学校を開く、といってる。

この四軒だけの集落にも、嘗て子供が沢山いたという。
自分のところに3人、隣に6人その隣に2人の子供がいたが、なぜか全員男ばかりだったという!一人も女の子がいなかったとか。
みんなでつるんで楽しく遊んでいたという。
みんな家の手伝いでヤーなどの家畜の面倒を見ていた。夏には谷の奥の牧草地にテントを張って生活したという。

私は最近特に高山植物に興味を持ち始めているので、さっそく、花の本を見せながら、この花を見たことがあるか、「これはブルー・ポピーだが、、、」と見せると「あるある、たくさんある。急な崖とかに生えてる。これもこれもある。夏にはあたり全て花だ」という。
ここで、今度は私のよだれが出そうになった。
「子どもたちは花で冠を作って遊んだよ」とのこと。
何と、この四軒だけの集落からインドに4人も子供が亡命して来ているという。
後はナクチュやラサの学校に送られる子供が多く、今はほとんど子供は村に残っていないはずだという。

それにしても、このノルブは感心するほど良く勉強するのだ。家に来ても、ほっとくと必ず教科書をだして勉強している。いつまでも勉強している。
とにかく一途だ。遊牧民の集中力かな?と思ったりする。
はっきりいってほんとうに見た目も中身も純粋田舎者で、少しとろくて、勉強出来そうには到底みえないのだが、頑張るのだ。
遅れて亡命してきたので、必死に遅れた分を取り返そうとしているのであろう。
来年から上手く行けば、小学校6年のクラスに行けて、そのあとも飛び級がある。

身体が、ひょろひょろなので運動をするようと、一緒にヨガをやっていて初めて気づいたのだが、彼の足は異常に細い、とくに左足が細い。「子供の時からこんななのか?」ときくと、「子どもの時はもっとひどくて足が曲がっていた。ラサの病院にいって良くなったのだ」という。
きっとこの子はポリオに罹っていたと思われた。
それで、早くは走れないので学校でも運動しないという。

とにかく、何の因果か、この子はこんな田舎から二度目の逃避行でやっとインドに逃れ、こうして勉強に生きがいを見出し、試験で4番になった。
本当にすごいことだと、思うのだった。

次の日、「両親がチベットからお金を送って来た。今からそれを受け取りに行く」と言いだした。
こちらにくる伝手を頼りに彼の両親は、初めて子供に<3000ルピー>を送ってよこしたのだ。
この日はそれから彼はすぐに本屋に行って英語の本を買い、バッグを買い、なぜか仏壇に供える水盤セットを買った。私が払おうとしても決して受け取らず、今日は自分だってお金を持ってるんだ、とばかりにいきよい良く、嬉しそうにお金を自分で払っていた。

後三人、子供がいるのですが、<続き>にします。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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