チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年7月10日

シルクロード

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高昌古城私もかつて一度だけだが、シルクロードあたりを旅行したことがある。
確か1985年のことで、話は相当古い。

チベットに行くつもりが入域許可を得ることが出来ず、カシュガルまで行きつき、そこでも貰えなかったので、仕方なくカイラス経由でラサ潜入を企てたが途中で見つかり、カシュガルまで連行され、遠く蘭州まで追い返された。
この話は前したからもうしないが、とにかく敦煌から始まり、、ハミ、トルファン、ウルムチ、天山山脈、クチャ、カシュガルと遺跡巡りを中心に楽しく旅行した。

このころ楽しく旅行できるのは中国の中ではウイグルとチベットだけだった。
というのも、他の中国では(そのころ)人が笑うのを一度も見なかったからだ。
その時は香港でビザを取り、広州、雲南、成都、西安、蘭州と辿って行ったが、人々はほぼ全員上下ともに人民服だった。私もまぎれるために一着の人民服と人民帽を普段着とした。

服装が同じになると考え方や反応も同じになる傾向がある。
特に感じたのは女性が女性でなくなり、、、男化する。バスの運ちゃんも女性が多かった。
どこでもかな切り声を上げて口げんかばかりしていた。
男は男で本気の殴り合いの喧嘩をどこの街角でも見かけることができた。
まず、男ばかりか女性も全く笑顔をみせない。
人らしい親切さを要求するのは無理にしても、宿や店の女性も愛想笑いも決して見せなかった。
それが中国の当たり前と慣れたころ、、ウイグル人地区に入って女性に目が行く自分に気づいて、そうかここにはちゃんと女性がいるのだな、、、と変に感心したものだった。単に美人が多いので自然にこちらの顔がゆるんでいただけかも知れないが。

まず、ウイグルの女性は頭に派手なスカーフを巻きスカートをはいている。
人民服を着る女性は漢族と決まっていた。宿や店の女性はちゃんと愛想笑いをする。
ただ、それだけで私はずいぶん社会全体が違って見えたものだ。
中国人の家に誘われておじゃまするなどと言うことは考えられなかったが、ウイグル人の家庭には何軒か遊びに行った。
それまでの中国内地旅行中無意識に緊張し続けていたことが、心がほぐれて始めて気がついた。
天山山脈の中でパオで暮らすカザフ族の遊牧民と知り合い、数日パオに泊まって寒さで眠れなかったが、山と星だけは格別素晴らしかったことを思い出す。
カザフ人もみんなやさしく感じた。

カシュガルの宿では毎日夕方、屋外でウイグル人の歌と踊りのショーがあった。
一般的には私はローカルショーを楽しまない方だか、このときの連夜のショーのことは良く覚えている。
外の街には人民解放軍のトラックが銃を構えた兵隊を満載して、一日中住民を威嚇するように走りまわっている。
モスクは荒廃し明らかに民族、宗教弾圧を受けていた。
宿も経営者は中国人だ。
その庭で10人ほどの踊り子と5人ほどの楽隊が明るい顔をして、精一杯きらびやかに踊り、歌っていた。
その光景は私のシルクロード旅情のエッセンスのように今も鮮やかに思い出される。

そこは中国ではなかった。
ウイグル人たちは強く、開放的で明るい人々だと感じ、それからずっとウイグル人びいきなのだ。

BBCでは先ほども新しく数十人のウイグル人がデモを行ったところに武装警官隊が駆けつけ、蹴ったり、殴ったりするところを映していました。
「あ、今後ろから足でけられました。今度は、見てください、後の方で棍棒で思いっきり殴りつけています、、、」とスポットの当てられた映像とともに実況中継されていました。しばらくすると、「あ、ここまでです。見つかってしまいました」との解説とともに映像は切れました。
これは、チベットでは期待できない映像でした。

ダライ・ラマ法王 ウーセル女史のブログよりウイグル人にはダライ・ラマ法王のようなリーダーが居ないので、例えば今度のG8でも話さえ出なかったように、チベットのようには国際的支援が得にくいのが可哀そうです。
非暴力の運動を続ける限り、少なくとも法王は必ずチベット人と同じようにウイグル人を見守っていらっしゃると確信します。

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以下、サーチナより。

ウルムチ暴動:武装警察って?権限決めた法律なし

2009/07/10(金) 01:47

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0710&f=national_0710_002.shtml

  ウルムチ暴動に武装警察官の部隊が出動したことが伝えられている。現地の高官が敵対心をあおるような言動を行った一方で武警の権限と職責を定めた明確な法律が存在しないことが分かった。市民への不当な拘留や暴力的な取り調べを排して武警の暴走を防ぐためにも早急な法整備が望まれる。

■権限決めた法律なし

  中国国営の新華社通信によると、武警は人民解放軍と同様に中国共産党の指導を受ける国家武装力。国務院と中央軍事委員会の2重支配を受けている。同社は「武警の基本的任務は国家の安全と社会的安定を維持すること、国家の重要な目標を守ること、人民の生命・財産を保護すること、戦時には人民解放軍と協調して防衛作戦を展開すること」と説明。また反乱や騒乱といった社会秩序を揺るがす事案への対応も担当することになっている。

  ただし武警の権限と職責を定めた明確な法律が存在しないことが分かった。武警の王建平参謀長が今年1月に中国系雑誌の取材に応じて「『法治国家』でありながら法律による裏づけがないなんて先進的な武器を保有していないことよりも遥かに恐ろしい」と語った。このため王氏は「人民武装警察法」の立法作業を進めていく強い意向を示した。

■ウルムチ暴動 武警に注目集まる

  これを受けて4月に行われた全国人民代表大会常務委員会では「人民武装警察法」草案への審議が始まり武警の呉双戦司令員が説明を行った。同草案では現場指揮官の同意を経て犯罪の容疑者に対して職務質問を行った上で身分証明書の提示を求めることができることなどが盛り込まれた。呉氏はさかのぼること3月に新華社通信の取材に応じて「人民武装警察法」を今年中に制定・施行できるとの見通しを示していた。

  はからずもウルムチ暴動で全世界から武警に大きな注目が集まった。現地の高官が敵対心をあおるような言動を行った一方で武警の明確な権限と職責が定められていない状態では市民への不当な拘留や暴力的な取り調べに歯止めが利かないことになる。武警の暴走を食い止めるべく早急な法整備が望まれる。写真は新疆ウイグル自治区ウルムチ市の人民広場に集まる武警。7月8日撮影。(編集担当:麻田雄二)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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