チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年5月30日

二発の銃弾を受けたツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

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91d40697.jpg昨日お知らせしたダラムサラに到着した4人の勇者の続きのようなものですが、
その中、二発の銃弾を受けたまま山に逃れたツェワン・ドゥンドゥップ氏の話が今日のパユルにより詳しく出ていました。

写真は銃弾の痕を記者団に見せるツェワン氏です。

昨日のレポートで訂正あり、彼の年齢を31歳と書いたのですが39歳(政府)か38歳(パユル)の間違いでした。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24824&article=From+Dharamsala+Tibet+protesters+recount+Chinese+atrocity

デモは昨年3月24日、カンゼ県ダンゴで起りました。
中国側の発砲により2人死亡、10数人負傷と言われていますが、彼らはもっと多いはずだと言っています。

以下ツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

「午後4時半ごろ行進はまずガゴン尼僧院の約150人の尼僧たちによって始められた。
すぐにぺルデン・ツォクリ僧院の僧侶が大勢合流した。
その後、農民を中心に数百人の一般人が行進に合流した。

300人以上の武装警官隊が押し寄せ、チベット人に鉄パイプや電気棒で襲いかかり、催涙弾を撃ち、そして銃で狙い撃ちし始めた。
彼らはチベット人に対し全く情け容赦なく兇暴に振る舞った。

撃たれて路上に倒れていた、グンガという僧侶を助けようとしていた時、自分も二発撃たれた。
一発は背中からへその上あたりに向けて貫通した。
もう一発は左肘に当たり、私は意識を失いかけた。(ここで彼は傷痕を見せる)

私が撃たれるのを見た弟のツプテンがバイクに乗って助けに来てくれた。
その時、助けようとしていた僧侶はすでに死んでいた。

それから、一年以上も警察に捕まることを恐れて、病院にも行けず、山の中で生死を彷徨った。
弟のツプテンがずっと一緒にいて助けてくれた。
警察に追われていつも走って逃げねばならなかった。

自分たち二人に15~20000元の賞金がかけられ、指名手配されていた。
だから家には近づけなかったが、家族と山で6ヵ月過ごしたこともあった。
しかし、病院に行くことも出来ず、私の銃創は悪くなる一方だった。
傷は腐り、膿が溢れ、ウジが湧いた。その痛みは耐え難かった。
容態は悪化するばかりで、もう死の一歩手前までいった。

しかし、法王に必ずお会いし、また外の世界に、この中国弾圧下のチベット人たちの苦悩を知らせるために生き抜こうとの希望と決心が湧き、それが私の身体を強くした。

家族と特に弟の助けがなければ今生きていないであろう。感謝している

ーーー

アメリカの学生の質問「何をしてほしいか?」に答えて、

ツェワン氏:

「国際機関は一方的な中国側からの情報だけでなく、真実を見極め、真実に基づいてチベットを支持してほしい。

法王がチベットにお帰りになられるように、パンチェン・リンポチェを含めたすべての政治犯が解放されるように、助けてほしい。

メディアの人たちは中国の支配の下でチベット人が如何なる状況に置かれているのかを知るために、個人で勇気を持ってチベットの村々に深く入り込んで現実を調べてほしい。
必ず、中国によって巧妙に隠された、真実の言葉を聞くであろう。

去年中国政府によって示された、チベット人に対する暴力の激しさの程度を見るにつけ、政府はチベット人の生命や福祉に全く敬意も関心もないということをチベット人は理解した。

私は平和的に行進している集団に対し、あれほどの暴力を振るうということが考えられない。去年の出来事の後、チベット人の敵対心がどれほど高まったことであろう」

二人の兄弟は国境を「チベットにいるチベット人の苦しみを少しでも少なくするために必ず働く」との確信と希望と共に越えた、という。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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