チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2009年5月30日

特使ケルサン・ギャルツェン氏へのインタビュー

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d81fda85.jpgインタビューに応じるケルサン・ギャルツェン氏(都内のホテルで、相馬勝撮影)

先に日本を訪問し講演を行われた法王特使ケルサン・ギェルツェン氏、産経新聞のインタビューに答えられました。

【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(上) ボールは中国側に (1/4ページ)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090530/chn0905301300000-n1.htm

2009.5.30 13:00

 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の特使で、2002年以来中国側との交渉役を務めているケルサン・ギャルツェン氏は都内で産経新聞と会見し、これまでの対話で中国側は、ダライ・ラマの中国訪問や中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問などの提案をすべて拒否したことを明らかにした。また、ダライ・ラマについて「チベット内部の問題に口出しする権利はない」などと激しく批判していたという。対話の具体的な内容が明らかになったのは初めて。(相馬勝)

 -まず、「ダライ・ラマ特使」という肩書について説明していただけますか。

 「特使は私のほかに、もう1人いて、全部で2人。もう1人の特使はロディ・ギャリ氏だ。2002年に、中国との対話が始まった際に、ダライ・ラマ14世によって任命された。われわれのチベット亡命政府は中国との対話に臨むに当たって、約20人の専門家などによるチベット問題に関する特別チームを結成した。このチームに特使の2人も加わり、対話が始まる前には、どのようなことについて中国側と話し合うかを検討し、そのテーマを決定する。これについて、2人の特使がチベット亡命政府の首相と協議し、その結果をダライ・ラマに報告して、最終的に何を話し合うかを決めることになる」

 「中国との対話は、2002年から昨年11月まで、1回の非公式協議(昨年7月)と8回の正式な対話の計9回にわたって行われた。02年と03年は北京の釣魚台迎賓館が会場となった。われわれ特使のカウンターパートは、中国共産党統一戦線部の常務副部長(閣僚級)で、われわれ側は4、5人が参加し、中国側は6人から8人の間だ。主に、統一戦線部のメンバーだ。北京での会場として、統一戦線部の本部も使われた。また、地方では南京市と深●(土ヘンに川)でも行われたが、いずれも立派な迎賓館で、一般市民は立ち入り禁止区域に建設されていた」
-次の対話の予定は決まっているのか。

 「われわれとしては、いつでも、いかなる場所でも話し合いに応じる用意はある。すでに、その旨は中国側に伝えてある。ボールは中国側にある。現段階では最後となった昨年11月の対話で、ダライ・ラマは対話のテーマとして、言語や文化、宗教、環境の保護、およびチベット教育の重要性、天然資源の使用、経済発展並びに商取引のルール、公衆衛生や治安の維持、地域における移民制限の条例の制定、諸外国との文化・教育・科学・宗教的な交流の許可-といった11項目を挙げたほか、ダライ・ラマ側が要求する自治の内容などについて文書にまとめて、中国側に提出した。しかし、悲しいかな、中国側はまったく関心を示さず、何の返答もなかった」

 「この文書を読めば明らかだが、われわれは中国憲法に基づいて、チベットの自治を達成しようというもので、独立を望んでいないことは明白だ。われわれはチベット独自の文化や宗教、言語などを残そうとしているだけであり、これは中国の憲法によっても保障されていることだ。しかし現実は、チベットは直接、中国共産党によって統治されており、これが最大の問題なのだ。いままでのところ、中国側は対話の扉は開け放されていると言っている。われわれはチベット内部の問題を話し合おうとしているのだが、中国側が関心を持っているのはダライ・ラマ14世の肩書である、特権であり、宗教的な立場だ」

-あなた方と中国側の決定的な意見の違いはどこにあるのだろうか。

 「中国側は『チベット内部には何ら問題はないし、すべては順調に進んでいる。チベットに住む人々はすべて幸福である』という立場だ。われわれは、この意見には賛同しない。なぜならば、毎年2000人も3000人も中国から、ダライ・ラマが住むインドに亡命する難民が押し寄せているからだ。彼らは農民であり、僧侶であり、学生であり、学者であり、一般市民もいる。これはチベット内部であらゆる階層に対して、さまざま抑圧が行われていることを物語っている。われわれはチベット内部からさまざまな情報を得ており、現在の状況を把握している。昨年3月にラサなどチベット人居住区で大規模なデモが起きたが、いまでもそれは小規模ながら継続的に発生している。チベット人の怒り、悲しみ、憤り、フラストレーションは限りなく大きいというのが現状だ」

 -中国側との対話では具体的にどのようなことが協議されていたのか。

 「これまで9回の対話が行われたが、主に相互の信頼醸成を目的に行われた。相互の信頼が形成されれば、中国内外のチベット人への親善のシグナルになるからだ。具体的には、まず現在禁じられている中国内でのダライ・ラマの写真を公開することを提案した。これが実施されれば、チベット人にとって、心理的な極めて重要なメッセージになるからだ。2番目に中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問の拡大だ。インドにいるチベット人が中国内の親類を訪ねていくほか、中国からインドなど世界各地のチベット人の親類を訪ねるというもので、中国のチベット人居住区の往来の拡大が目的だ。3番目にはチベット問題を話し合うために、ダライ・ラマ側と中国側の学者や有識者などによる専門家チームを結成し、宗教や文化について話し合うこと」

「4番目にはダライ・ラマが中国の宗教的な名所・旧跡を訪ねて、一般の人々と直接触れ合うことを提案した。5番目にこれらの問題について、共同声明を発表して、両者が話し合いに真剣に取り組んでいることを示すというもの。これにより、内外のチベット人のほか、中国の人々や国際社会においても重要なメッセージを発信できるからだ。しかし、残念なことに、中国側はすべての提案を拒絶した。われわれの対話はまったく進展がなく、にっちもさっちもいかない状況になっている」

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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