チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年12月21日
ガンデン・ナムチュ
今夜は夕方、町からツクラカンまでのキャンドルライト・ビジルが行われました。
本来今日は聖ツォンカパ(1357~1419)の涅槃会ということで、政治的な日ではないのですが、今年は特別に政教一致の日になったようです。
もっとも内容は聖ツォンカパと同様に今年平和的デモの結果亡くなった人たちの事を思い出す日にしようというものでした。
それにしても、聖ツォンカパ抜きにダライ・ラマ法王を語れず、チベット仏教も語れず、仏教自体も語れないかもしれないほどに聖ツォンカパは偉大なのです。
法王は常に「私はジェ・リンポチェ(聖ツォンカパ)の一人の弟子でしかない」とおっしゃってます。
法王のほとんどの仏教講義はジェ・リンポチェの解説を許に行われます。
その哲学の論理的、体系的、包括的性格はそのまま法王に引き継がれています。
ジェ・リンポチェは「顕教・密教すべての仏教教学を中観帰謬論証派の視点から体系化する修道カリキュラムを完成した」と「聖ツォンカパ伝」にコメントされていますが、今もこの厳しいカリキュラムは法王の監視のもとしっかり機能しており、多くの偉大な学者を生んでいるのです。
今の世界に集団で一生哲学論争をしているのはチベット人ぐらいでしょう。
世界遺産?に早く登録されるべきでしょう。
(時々、この知的アクロバット論争アスリート集団の半分でいいから(国際)弁護士を目指すことを夢見ますが、、、)
第一ジェ・リンポチェのような第一級の学者・行者が14世紀後半のチベットに現れたことも奇跡のようでもあります(失礼)。
もちろんそれまでに彼の出現を用意するレベルの高い学者がすでに少なからずチベットにいたのですが。
それにしてもそのころのチベットの人口密度と過酷な自然環境を考えるとまことに稀な現象に違いありません。
日本人はじめ多くの国ではもっぱら兵士が増産され、剣の果し合いが行われていたころ、チベットでは僧侶ばかりが増え、インド伝来の哲学論争による道場破りが流行っていた。
ただぼーと座るのが仏教ではなく(空の)真理と慈悲を体現するのが仏教だと主張し続けた。
戒律を厳しくし、今に繋がるチベットのイメージ改善に大いに寄与した。
縁起即空を強調されることが多いが、常に空が故に縁起するこの世俗諦を忘れることもなかった。
20年前にはジェ・リンポチェの研究は日本では長尾雅人大教授始め極少数の学者の間の楽しみであったが、今では沢山翻訳も出ているようです。
顕教の主著「ラムリン」も「悟りへの階梯」という題でツルティム・ケサン教授が翻訳を出されています。
是非お読みください。
その後、本気の人は「善説心髄」、「中論」釈の「正理大海」、「入中論」釈の「密意解明」もお読みください。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)