チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年12月4日
法王のヨーロッパ訪問/ネパールは間もなく中国領か?/野田雅也氏
左の写真、牧野先生と一緒に写ってるインド美人は8月にTYCが死のハンストを行った時最初の5日間一緒にハンストを行ったご婦人です。「女性は私だけで、年寄りも私だけだった」とさりげないが、話すほどに熱いチベットへの愛が感じられました。
マドラスでチベット人孤児や学生の母親代わりをされています。
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ダライ・ラマ法王は12月2日チェコのプラハで行われた記者会見の席上、
「私はいつも友人たちに言っている、中国のような巨大な国と良好で緊密な関係を築くことは大事なことだ。しかし関係は経済ばかりでなく、、、一方に、表現の自由、人権、民主主義とかの原則がある、、、この立場は堅持されるべきだ。頑固さを受け入れる空間があることが真の友情の証だ。最後には相手もそのことを評価しよう」
「もしもあなたが何に対しても<はいはい大臣>で、悪いことに対してもそうであるならば、その者達はその悪い行為もOKなのだと考えるであろう」
「他者の間違いを指摘することは大事なことだ」
と語られました。
11月30日にチェコ首相ミレク・トポラーネク氏
12月2日に外務大臣のカレル・シュワルツェンベルグ氏、及び前大統領ヴァ―ツラフ・ハヴェル氏と会見された。
3日にはいよいよブルッセルで欧州全体会議で声明を発表される。
6日にはポーランドのグダンスクで行われる式典にて、フランス大統領ニコラス・サルコジ氏と会見することになっている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23317&article=Friendship+with+China+is+Essential%2c+But+not+Just+For+Economy%3a+Dalai+Lama
以下にすでに欧州会議後のインタビューが載っています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23336&article=Stand+Firm+on+Human+Rights%3aDalai+Lama+to+EU
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ネパールはいよいよ中国の手に落ちようとしている
外務大臣ヤン・ジエチを筆頭とした10人の中国政府外交団がネパールの最初のマオイスト首相となったプシュパ・カマル・ダハル(プラチャンダ)及び外務大臣のウペンドラ・ヤダブとカトマンドゥで会談を行った。
ネパール国内での反中国デモを全面禁止する見返りに、中国はネパールに対し一億元(約13.5億円)の技術的、経済的援助を与えることが決定された。
ネパールが要望しているという?ラサ~ネパール国境までの鉄道の開通は将来のトランス・ヒマラヤ鉄道によるネパール経由での中国とインドの結合への布石となるが故に、中国側はこれを積極的に進めたいとの考えを示した。
先の9月にはネパールのマオイスト防衛大臣ラム・バハドゥール・タパが北京を訪問したとき中国政府は一億ネパールルピー(約1.5億円)の軍事援助を(足代に)与えた
先月には北京はグゼン将軍に引き連れられた軍事顧問団をカトマンドゥに送っている。
ネパールから亡命チベット人が追い出され、一時収容所も閉鎖される日も案外早く来るかも知れません、、、、。
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写真家の野田雅也氏は今年3月ダラムサラを撮ってからはチベット一筋、今年はすでに二度もチベットに入り取材されています。
その彼からの嬉しいお知らせ:
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今年3月のダラムサラの写真で、上野彦馬賞の「毎日新聞社賞」を頂きました。受賞作品の巡回展が、東京の写真美術館をはじめ、全国で始まります。お近くの方は、ぜひ足をお運びください。
○上野彦馬賞 受賞作品展
http://www.kyusan-u.ac.jp/hikoma/2008_sakuhin/index.html
毎日新聞社賞 野田雅也 「チベット~Refugees 2008~」(出典は5点のみ)
○東京展
平成20年12月6日(土)~12月14日(日)
場所 東京都写真美術館 恵比寿ガーデンプレイス内
東京都目黒区三田1-13-3
http://www.syabi.com/index.shtml
○ 福岡展 平成21年2月17日~2月22日
場所 福岡市美術館
○ 長崎展 平成21年3月17日~3月22日
場所 長崎県美術館
○ 熊本展 平成21年4月22日~4月28日
場所 鶴屋ふれあいギャラリー
○ 兵庫展 平成21年6月13日~7月5日
場所 尼崎総合文化センター
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彼はこのところ長野の信濃毎日新聞紙上に
「チベット 人々の祈り」(計6回)と題された記事と写真を連載されています。
本人の許可を得て、今日から三日に一度のペースでこのブログにも連載させて頂きます。
写真は紙面と同じではないのですが、野田氏から別口で頂いたものからです。
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信濃毎日新聞 文化面 08年11月7日掲載
<チベット 人々の祈り> (野田雅也)
第1回 迫害の歴史、抗議の根に
九月下旬から三週間、チベットを訪れた。一九九九年に初めて行ってから、これが八回目の渡航になる。チベット自治区に入るのは、一昨年以来二年ぶりだ。
今年三月、チベット全土で起きた僧侶や市民らによる激しい抗議デモを、中国政府は圧倒的な軍事力で鎮圧し、チベットを事実上封鎖した。それから半年。北京五輪が終わり、外国人観光客にも再び開放されたラサは、穏やかな日常を取り戻したかにも見える。
しかし、町を歩くと、銃を携えた治安部隊が巡回し、私服の秘密警察が人びとの会話に耳を立てている。仏教寺院にも、僧侶の袈裟を着た監視員がいた。そして、道路わきなどのいたるところに監視カメラが設置されている。チベット仏教の聖地ラサは、監視と密告という見えざる眼の下にあった。
「オリンピックなんて見たくもなかった」と尼僧のガワン(30)=仮名=は言った。三月、彼女の寺院でも大きな抗議デモが起き、義兄を含む僧侶二十一人が拘束された。黒い覆面をかぶせられ、縄でつながれた彼らは、抗議デモで掲げたダライ・ラマ十四世の顔写真を、見せしめに首から下げさせられ、一列になって町を歩かされた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世を中国は国家分裂主義者と非難し、その写真を持っているだけでもチベット人は投獄される。僧侶たちが首から下げた写真は、群集の前で焼き捨てられた。
ガワンの寺院は抗議デモの後、人民解放軍による厳重な監視下に置かれた。屋根には中国の紅い旗が掲げられ、本堂や僧坊には、監視カメラと盗聴器が取りつけられた。「外出もできず、水や食べ物がほとんどない状態が三カ月間続いた」と言う。その重圧のなかで、ガワンは拘束された仲間たちの無事を祈り続けた。
ほかの寺院でも、僧侶たちへの愛国教育が強化された。彼らはそのなかで、中国共産党を讃えること、分裂主義者に加担しないことを誓わされる。しかし僧侶たちにとって、心に嘘をつくことは仏教の教えに背くことであり、信仰の指導者を非難することは苦しみの極みである。この愛国教育のために、チベット各地で僧侶の自殺が相次いだ。
一方で、北京五輪の前には、中国政府からチベット人に生活支援金として一人五百元(約七千五百円)が配られたという。ガワンは「お金で人を操ろうとするなんて、信じられない」と怒りに声を震わせた。
五輪中はさらに厳しい監視が続いた。町には治安部隊が溢れ、道路には軍の検問所が増設された。多くのチベット人が家の外に出ることさえ恐れていたという。しかしそのチベットの内情が、外に伝えられることはなかった。
ガワンは今も繰り返し同じ夢を見る。それは、秘密警察に拘束され、体に紅い旗を巻きつけられてビルの屋上から突き落とされる夢だ。極度に追い込まれた心理状態が、そんな悪夢を見させるのだろう。「何か不吉な暗示ではないか」と彼女はおびえていた。
中国はチベットへの監視と抑圧を強め、抗議デモの再発を防いでいる。しかし、独自の文化や信仰をもつチベットの人々を、一九五〇年の侵攻以来、半世紀以上にわたって迫害し続けてきたその歴史が、今回の騒乱の根にはある。北京五輪を終えた今も、声にできない祈りをチベットの人々は唱え続けている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)