チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年11月25日

続ダライ・ラマ法王の記者会見

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4eff5b57.JPG昨日の続きです。

<いつかチベットにお帰りになるのか?>

みんな信念を持っている。いつの日か、自分の故郷に帰るであろう。

個人的には仏教に従う者として、縁起を信じる。
其々の個人は一人に見え、現象もバラバラに見える。
しかしすべてはお互いに関連し合っているのだ。

多くの問題は、チベットの問題も人間の作った問題だ。
広い視点ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に、多くの問題は起こっている。
だから、私も、チベットの問題もその将来は隣接するインド、中国、世界の状況によるであろう。

他者の利害を尊重し、考慮すべきだ。

私のこの世での第一の義務、責任は、
人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。
世界に温かい心を増やすことだ。
そこから他の人の利害を尊重し、
他の人の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれるのだ。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。
三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではない。
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。

チベット文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベット文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できる。
今の世界には正にこれが欠けている。

この思想をチベットはインドから学んだのだ。
インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。
インドに古くからある教え、アヒンサ(非暴力)とカル-ナ(慈愛)がその基となっている。
この意味でチベットの文化は世界で一番美しい文化だと思う。
今この大切な文化が危険な状態に陥っている。
この文化は滅亡の危機にある。

チベット問題は六百万チベット人だけの問題でなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体で3、4千万人のヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアのある地区に住む人々に直接的に関係する。

同様に、他の世界の人々にも関係する。
このチベットの文化は世界平和に貢献できる。
心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

チベット問題のもう一つの側面は、環境問題だ。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、言っていた、
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だと。チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。

温暖化についていえば、地球全体の気温が0,1度上昇するとき
チベット高原は0.3度上昇するという。
これは主に高度の影響によるものという。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だからチベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することなのだ。
だから大事な問題なのだ。

さらに他の側面もある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことは世界平和にとって大切なことだ。
世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊チベットに駐留し続ける。
このことはインドを刺激する。
チベットの問題が解決されない限り、インドの国境線は落ち着かない。
膨大な軍事費を強いられる。
チベットに真の自治が実現し、平和が訪れ、環境が守られれば、両国に取ってその利益は大きいはずだ。

――――

<引退について>

リンポチェが首相になってから私はもう半分引退したのだ。
定年退職しているのだ。

さっきも言った二つの約束は死ぬまで引退はないが。
1992年から、もしチベットの問題が解決されれば引退すると言ったきた。

もう私は73になる。十年後には83だ。いずれ引退の時は来る。
20年後には93だ。もうどうしろと言うのか?。そのころはもう年寄りすぎる。

私も一人の人間だ。人間の権利として引退してもいいだろう。

チベット社会の民主化に力を入れてきた。
私が最後のダライラマとなっても問題ない。
もしも私が亡くなった後、人々が「14世はダライラマの伝統を傷つけることもなく、中々悪くなかった」と言って貰えるようになればそれで満足だ。

民主主義に努めてきた。
もう政治的には中心的役割からは退くであろう。

外見は年を取れば変わるかも知れない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来たの一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまで道徳的義務は負い続ける、引退はない。

ーーー

<今回の会議について>

今度の会議には一切口を出さなかった。
私が口を出すとたぶん自由な討論の障害になると危惧してのことだ。、
大方の参加者は中道を支持した。
チベット青年会議その他、独立を主張した者ももちろんいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。今月の末には国際支援者会議が開かれる。
多くの国々から参加者が集まる。
彼らの意見、感想、助言等も聞く責任がある。
だからまだ、今は何も言えない。一か月待ってくれ。

ーーー

<後継者について。カルマパは?>

まず、当たり前だが、年を取ってきたことだし、将来については、特にパンチェン・ラマの時には中国政府によってあまりにも政治化され過ぎたという経緯もあることだし、もし私が死んだ後に、必ずしもダライラマ制度が存続する必要はないと思っている。

その時は次の転生者はいないということになる。
もし人々が望むなら、選挙で選ぶことも考えられる。
長老からということもありえる。
伝統的な方法で選び、女性もありえる。

原始時代には、すべての家族のものが責任を持っていた。
人口が増えて指導者が必要となってきた。
昔は体の強さが一番の基準だった。
教育は関係なかった。ほとんど動物と同じだ。頭は関係なかった。
だから男が社会を握るようになっていった。

次第に教育の方が体力より重要視され始めた。
こうして社会では女性と男性のほぼ同等の役割を持つようになってきた。
しかし、まだ指導者には男が多い。

21世紀に入った今、我々の教育と技術は相当に進歩した。
しかしこの進歩、発達も人々の紛争を解決することに失敗している。
究極的には紛争は心の中から解決されるべきだ。
過度の競争心、少しの競争心は良いが、異常な競争心、怒りや猜疑心、これらが究極的な紛争の源だ。
紛争、衝突は心から解決されるべきだ。

現代の教育には問題があると思う。
頭ばかりを鍛えることしか知らず、同等に温かい心を育てることに関心をはらっていないからだ。

千年ほど前に組織的教育というものが始まったころは、西洋では教会が道徳教育の役割を担っていた。
もちろんある程度、家族もこの役割を負っていた。
現代社会ではこの伝統は衰退した。
今の教育者は頭のことしか考えていない。
この面での伝統的な教会や家族の役割が望めない今、教育機関は頭の正しい発展と同等に温かい心を育てるという大きな責任があることを自覚すべきだ。

温かい心と慈悲の心を育てるには三つの道がある。
第一の方法は、宗教の信の力をかりて、神の永遠の愛を通じて人間性と愛の心を育てるというもの。

第二の方法は神を立てないが縁起、因果律を信じる人々によって採用されているものだ。
現象は原因と条件により果を得る。
その果を因としてさらなる変化が起こる。
神を信じない仏教とジャイナ教の人々はこの原理より、愛と慈悲の心を育てる。

今、第三の方法があるべきだ。それは宗教に基づかない、世俗の常識と論理と共通の経験に基づき、温かい心と慈悲心を育てる方法だ。。

この私もある程度の慈悲心を持っている。
この心を私は最初に母親から学んだ。
すべての人は母親の体内から生まれ、母親のミルクで生き延びた。
これは大事な点だ。

だらか、常識と経験と、それに科学の最近の発見とかも役に立つ。
ある科学者が私に
「怒りと憎悪は免疫力を減退させる。
静かな心は免疫力を亢進させるのに大いに役立つ」と言っていた。

最近私は胆石の手術をした。
だから今もうこの人には臓器が一つ欠けている。ハハハ!

私は手術後一週間で完全に回復した。
元気いっぱいになったのだ。
その回復ぶりを見て担当の医者も相当驚いていた。
私の心は一般の人々と比べると比較的静かだが、きっとこのことが回復に役立ったのではないかと感じた。

常識と経験と最新の科学的発見を、人々を静かな心とやさしい心を育てるための論理的根拠とするのだ。
この心を育てることは、個人だけでなく、家族の幸せ、コミニティーの幸せ、国際関係においても非常に大事なことだ。
この方法を私は第三の「世俗の一般的な方法」と呼ぶのだ。

私は、この社会に温かい心をもたらすには、女性のほうが大きな可能性を持っていると固く信じる。
生理的に女性の方が他人に対する関心が高いからだ。
科学者は女性の方が男性より痛みに対する反応が大きいという。

ある時、確かヨーロッパから大西洋を越える時だったか?長時間のフライトだった。
同じ飛行機にある夫婦と二人の子供が乗っていた。
小さい方の子供はずっと寝ていた。
でも上の子供の方は悪戯で、あっちこっちと走り回っていた。

最初の頃は父親も子供の面倒を看ていた。
でも二、三時間後には父親は眠ってしまった。
暴れん坊の子供の相手をして疲れてしまったのだ。
でも母親は夜中、眠らずに子供の世話をしていた。
だから、次の朝には母親の目は真っ赤だった。

これが女性の方が愛情深く、その愛情の力が他人の面倒を良くみさせるのだという証拠だ。
だから、女性がもっと世界平和とやさしい心を社会に広める役割を積極的に引き受けるべき時が必ず来るであろうと感じている。
であるからして、ダライラマの生まれ変わりは女性になるかも知れない。ハハハハハハハハ!

もうひとつの可能性として
死ぬ前に転生者を選択するというのもある。
ある検証により認められればその者が転生者になる。
これを我々は「マデ・トゥルク」と呼ぶ。

これはそんなに珍しくもない。
少なくとも私の知る限り二人はいる。

おお、二番目の質問にカルマパのことがあったな?
カルマパはチベット仏教の伝統の中でも大事なラマの一人だ。
同様にカギュ派の中にも、サキャにも、ゲルックにも、それと何だったっけ?おおニンマにも、そうチョナン、ボン教の中においても第二世代の若い人たちの中に、できる僧侶がたくさん出てきている。
だから、私は心配なく死ねる。
きっと彼らがチベットの精神世界を責任を持って、しっかりと存続していってくれると確信している。

もちろんカルマパは若くて、エネルギッシュだ。
中国の中での経験もある。そしていまは自由な外の世界に出た。
これから大事な役割を担うことははっきりしている。

ーーー

中国人の中国語での長い質問。
<中国とチベットの共闘の可能性について>

一般の中国人の中にはチベット人に対する反感は有ると思う。
民主主義の促進を目指すという点において我々と中国本土の人々の要求は大方は一致する。

以前より私はアメリカやヨーロッパ、オーストラリアその他の外国に行った時には、その地に住むチベット人に対し、もし中国人に会うようなことがあれば、必ず友人になるようにと言い続けている。
天安門事件の前には中国の知識人たちもチベット人の事をあまり相手にしてくれなかった。
しかし、天安門事件の後、彼らの態度は一変した。

多くの民主化運動家の学生たちが事件の直後、外国に逃れたが、そんな彼らと私はアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで度々会っている。
私は彼らにいつも言っている。「あなた達は民主化のために、もっと社会が開けたものとなるように、法治国家になるために戦っている。
我々も同じだ、正義と民主主義のために戦っている。故に共通の基盤を持のだ」と。
そういえば昨日もそのような中国人と長い論議をしたな。

民主主義と言うか、個人の自由を求める気持ちは本質的なものだ。
生まれて死ぬまで、個人の自由は大変重要だ。
これは生来のもので、人は自由であるべきなのだ。

20世紀の前半には、世界の多くの国では全体主義が社会を良い方向に変えると考えられていた。
しかし、世紀の後半にはソビエトのように経済破綻により、この考えが間違っていたことがほぼ証明されるに至った。

すべての人々の自由への希求は如何なる力に依っても止めることができない。
現在中国においてもこの欲求は益々強くなってきている。

特に今の胡 錦濤が<調和ある社会>を提唱することに、まったく賛成する。
<ワンシャントゥーミー>ハハハ、私は完全に賛成する。
しかし、真の調和は心から来るべきものだ。
信頼に基ずくものだ。
恐怖と弾圧の下でどうやって、信頼や真の友情、真の調和を育むことができるのか?不可能だ!
リーダー達の中には「調和ある社会」を唱える者は多い。
それは素晴らしいことだ。みんなそのことを支持するであろう。
しかし、方法が間違っている。
弾圧は間違った方法だ。
調和は銃口の下には築けない。
調和は相互の信頼と尊敬、親近感からくるのだ。

ーーー

<将来の中国との対話について>

これはもっと後で決める。一か月待ってくれ。

ーーー

<中国政府への信頼が薄くなって行った経緯について>

3月10日のあと私は中国首脳部に「期待」したのだ。
今度こそ現実を見てくれると。
デモはチベット自治区で始まり、それから多くは自治区以外の地区で起こった。
しかし、今回も私の期待は外れたようだ。でもノープロブレム。

一つ話をしよう。
私の初めて経験した中国のヒポクラシー(偽善、詐欺)は、1955年、北京と中国の各地で数が月を過ごした後、その帰り道トンシンでのことだ。
そのころ私は少しだが中国語が話せた。
その時宿の主人の中国人がこう言った「チベットからの初めての使節団が中国の首脳部と会えたのだ。チベット人達はさぞ嬉しかったことでしょう。特にあなたがラサを離れる時にはチベットの人々は大層喜んでいたと聞きますし、、、」

それを聞いて私は言った。
「実際見たしたものとして言うが、私がラサを離れるために河を越えるとき、その河には橋が掛っていなかったが、ラサの人々が大勢、最後の別れを言うために河岸に集まっていた。
多くの者たちは涙を流していた。ある者は河に飛び込もうとした」と。

事実をその若者に言うと、
「そうなのか?でも新聞にはチベット人は歓喜に溢れてダライラマを見送った、と書かれていたよ」と言った。
これが私の経験した初めての中国の「ヒポクラシー」だ。

いや初めてではなかったか、もっと前があった。
私は中国に行く前に第一次大戦、第二次大戦、広島、長崎の原爆の事などはニュースで知っていた。
アメリカの戦艦の上でマッカーサーを前に日本人が降伏のために署名をするところも見ていた。

中国のトンベ地域に行った時、そのシーンを撮った写真が飾ってあったのを見つけた。
そこで、ガイドの中国人に「これはどこの船か?」と尋ねた。
するとガイドは「あ、それはソビエトの戦艦だ」と答えた。
中国は普通、「日本はソビエトから北方を攻められることにより降伏した」と言ってる。
二つのアメリカの原爆によって降伏したなどとは決して言わない。
これも「ヒポクラシー」じゃないか?そうだろう?「ヒポクラシー」でいいのかな?

数か月前、ラサの近くの村に里帰りしたというチベット人から聞いた話だが、村の村長は歓迎の会合の席で「我々は本当に幸せだ。みんな共産党のお陰で新しい家に住み、本当にすべてが良い」と言っていた。
次の日に村長の家に遊びに行くと、彼の顔は暗い。
どうしたのか?本当のところはどうなんだ?と訊くと、「ひどいもんだ。政府は家を建てるための補助金だと言って金をくれるが、まったくその金では足りない。だから家はボロボロだし。ほとんどのものは借金して、家を建てなければいけない。みんな今じゃ借金だらけだ」
「じゃ何で、昨日あんなことを言ったのだ?」と訊くと
「私はあのように言うしかないのだ」と言ったという。

1980年には卓越した共産党指導者であった胡耀邦氏がチベットを訪問する。
私の聞いたところによると、確かではないかもしれないが、彼は自分がチベットを訪問する前に、若い学生を中心に30名ほどをチベットを秘密裏に調査するために送ったという。
彼らの報告を受け、彼はチベットを訪問する前にすでにチベットの現状についての正しい知識を得ていた。
チベットに行った時、現地の役人が「チベットは美しい、すべてが上手くいっている」と報告するのを聞いて彼は彼らを叱ったという。
このように全体主義国家においては下の役人は偽善的報告をするものだ。

3月10日以後、私は中国政府がチベットの現実に向き合う勇気を持ってくれると期待した。現実的アプローチを期待した。
もう一つ、5月4日に非公式の会談が行われたが、このとき中国政府は異例にも、この会談に先立ち、ある国の大使を呼んで、これからダライラマの特使と会談すると知らせた。
さらに、ある日本のレポーターから会談の有無について訊かれ、会談の有ることを認めただけでなく「会談には誠実に望む」と答えたと聞いた。
そこで私の期待はさらに膨らんだ。

今もし正しく現実を認識し、現実的アプローチを選択するならば、我々は100%協力する用意がある。
我々は独立を求めていないし、分裂も望んでいない。
たぶん期待し過ぎたのであろう。

また、友人の友人から「指導者の中で誰と誰が話し合いに前向きであり。誰と誰がそうではない」とかの情報を聞いた。
混ざり合った二通りのシグナルが送られてきた。
それにしてもその非公式の会談を受けて、第7回の会談を7月4日に開くこととなった。
しかし、彼らの態度はさらに厳しかった。

何よりも、チベットの内地では平和的デモが、ただただ弾圧された。その状態が今も続いている。
この前、BBCにも「もう。チベット民族は死刑宣告受けたようなものだ」といったが、この意味は
今、まさにチベットの精神、文化が一掃されようとしている。
民族の精神が失われるとは、それは民族の死を意味する。
そうではないか?
だから状況は非常に悲しいものだ。

この故に、私も馬鹿ではない。
信頼が薄らぐのも自然なことだろう。

続く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日夜10時、NHK,BS1でこの前の会議やら、チュキさんの話とかをまじえた映像が流されたはずですが、、、
誰かご覧になった方は感想を教えてください。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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