チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年11月24日

23日法王の記者会見より

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4d8e91b6.JPG以下は昨日ツクラカンのカーラチャクラ堂で行われたダライラマ法王の記者会見の
前半の前半部分です。
質問ははっきり聞き取れなかったものが多かったので、簡潔な形で示すだけにします。

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BBC,CNN,など世界中の沢山のメディアがこうしてチベットに注目して下さってありがとう。
ローカル新聞もほぼ毎日報道してくれていることに感謝している。

チベットの問題は道徳的問題だ。正義の問題だ。
だらか、チベットを支援してくれる人たちはプロ・チベッタンではなくてプロ・ジャスティス(正義派)だと常々思っている。

私の言いたいことはこれだけだ。では質問を。

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<チベット帰還について>も質問だったのか?
答えはチベット問題の様々な側面についてが多い。

ーーー

みんな信念を持って、いつの日か、自分の故郷に帰ると思っている。

個人的には仏教に従う者として、現象の縁起性を完全に信じる。
其々の個人は一人に見え、現象も時にバラバラに見えるが、
すべてはお互いに関連し合っている。経済、環境とかは明らかだ。

多くの問題は、チベットの問題も人間の作った問題だ。
広い視点ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に多くの問題は起こっている。
だから、私も、チベットの問題もその将来は隣接するインド、中国、世界の状況による。

私のこの世での第一の義務、責任は
人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。
世界に温かい心を増やすことだ。
そこから他の人の利害を尊重し、他の人の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれる。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。

三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではなく、
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。

チベット文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベット文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できよう。
今の世界には正にこれが欠けている。
この思想をチベットはインドから学んだのだ。
インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。
インドに古くからある教えアヒンサ(非暴力)とカル-ナ(慈愛)がその基となっている。

チベットの文化は世界で一番美しい文化だと思う。
今この大切な文化が危険な状態に陥っている。
この文化は滅亡の危機にある。

チベット問題は六百万チベット人だけの問題でなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体で3、4千万人のヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアのある地区に住む人々に直接的に関係する。

さらにチベット問題は他の世界の人々にも関係する、
このチベットの文化は世界平和に貢献できる。心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

もう一つの側面として、環境問題がある。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、言っていた。
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だ。チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。
温暖化については地球全体の気温が0,1度上昇するとき、チベット高原は0.3度上昇するという。
高度の影響によるという。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だからチベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することなのだ。
だから大事な問題なのだ。

チベット問題には第3の側面がある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことが平和のために大切なことだ。
世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊チベットに駐留する、このこと自体長期にインドを心地悪くさせる。

チベット問題が解決され。チベットが正常になり、意味ある自治が許され、言語を含めたすべての文化保存の自由が実現するならば、インド国境の問題もなくなる。

――――

<引退についての質問>

選挙に依ってリンポチェが首相になってから私はもう半分引退したのだ。
定年退職しているのだ。政治的権限は彼の手にある。
私はシニア・アドバイザーでしかない。

さっきも言った二つの約束は死ぬまで引退はないが、
1992からもしチベットの問題が解決されれば完全に引退すると言ったきた。
亡命の身のまま、もう私は73になる、十年後には83だ、いずれ引退の時は来る。20年後には93だ、もうどうしろと言うのか?。
年寄りすぎる。

私も一人の人間だ。人間として引退の権利があるはずだ。

チベット社会の民主化に力を入れてきた。
早くは1969から私はダライラマ制度が存続すべきがどうかは、チベット人が決めることだと言っている。
私が最後のダライラマとなるかも知れないと言って来た。
何の問題もない。
半分冗談だが、もしも私が亡くなった後、人々が「14世はダライラマの伝統を傷つけることもなく、中々悪くなかった」と言って貰えるようになればそれでいい。
そのようにしてダライラマ制度が無くなってもいいじゃないか。

本気で民主主義に努めてきたのだ。
もうチベット問題については中心的役割からは退くであろう。
しかし、この身体が存続する限り私はチベット人だ
外見は変わるかも知れない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来たの一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、(頭の上でジェスチャー)、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまでチベット人としての道徳的義務は負い続ける、引退はない。

ーーーー

<会議について>

この会議には口を出さなかった。
私が口を出すとたぶん自由な討論の障害になると危惧してのことだ。、
大方の参加者は中道のアプローチを支持したようだ。もちろんチベット青年会議その他、独立を主張したものもいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。今月の末には国際支援者会議が開かれる、
多くの国々から参加者が集まる、彼らの意見、感想、助言等も聞くべきであろう。
だからまだ、今は何も言うことがない。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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