チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月23日
法王の訓示
先ほどからBBC放送では、ダライ・ラマ法王の今日の会見の様子をトップニュースで伝えています。
「このままでは近い将来チベット人は危険な状況にいたるであろう。
近い内に中国が良い方向への態度を示さない限り、独立への方針転換もあり得る」
と言った。キャッチ内容でした。
もっともレポーターは「独立、強行路線といっても、平和闘争には変わりないので強行、過激という言葉は相応しくない」
と言ったコメントをちゃんとしていました。
それにしても実際今日、会見に出席してすべてを聞いたものとしては、このキャッチは少しニュアンスが実際よりも過激すぎると思います。
今日の行事は二部に分かれていました。
まずは9時前からツクラカンの主堂に今回の会議出席者全員が集まりました。
法王は一時間ほど彼らに向かって話をされました。
そのあと10時頃から、隣のカーラチャクラ堂で記者会見が開かれました。
何しろ沢山のことを話されましたから、今どうしようかと迷っているところです、、、
要旨は何れ日本の各紙が既に今日の夕刊に載せたか?明日の朝刊に載せるでしょう?
ちょっとだけでしょうけど。
いずれにしても今回の会談の結論は解釈に幅をもたせ過ぎてるようにも感じます。
私は現時点で、中国に対しての、かなり強い精一杯の表現だと思います。
「近い将来(soon)中国側が私の提案に前向きな態度が示されない場合には、
独立なり自治権なりの獲得へと舵を切らざるを得ない」と法王もきっぱりおっしゃいました。
ーーー
ところで以下に私のノートと記憶を頼りに法王のお話の内容をレポートさせて頂きますが、正式?なものとして他に引用されないほうがいいでしょう。
プレスとして亡命政府から認められているので、発表には何の拘束もないのですが。
正式なレポートは日本の代表事務所のホームページに、何れ近々発表されることでしょう。
「1959年3月16日の夜、ノルブリンカを後にしてインドへと亡命することとなった。
これは自分たちが好き好んで選んだ道ではない。
中国とどうにかうまくやっていこうと努力したにも関わらず、中国側の暴力により仕方なく、他に方法がなく、亡命することになったのだ。
いっしょに多くのチベット人もヒマラヤを越えなければならなかった。
あの時の問題は今も続いているのだ。
初心を忘れず勇気を失わず、この戦いは、世代を越えて子供へ、その子供へと伝えて行かねばならない。」
「最初の20年間は寺をつくることより、学校を作ることばかり考えていた。
20年経って、学校はまあまあ揃った。
それを土台に教育のレベルも相当良くなった。
しかし、まだまだだ、中国人を見ろ、華僑の中には沢山外国の大学の教授にもなっているが、チベット人はどうだ、数人だけだろう。もちろん人口の差はある。
それにしてもチベット人はもっともっと教育に力を入れ、一般人も知識を得ることにもっと関心を持たねばならない。
各セトルメント毎に活性化計画のようなものを作成するといいだろう。
チベット社会を全体に発展させる努力を真剣にこれから考えないと、後20年本気で頑張らないと、チベット人の前途は益々多難となろう。
10年後には私は83歳!、20年後には93歳!もうボロボロだろう」
会議について
「特別のコメントは今何もしないが、とにかく実り多い良い会議だったと数人から印象を聞いた。報告書も読んだ。毎年このような会議を開いたらどうか?
みんなが集まって情報を交換し合い、互いに近く感じることは大事なことだ」
(鄧小平の言った話については)
「現在中道路線と言っている独立を下ろすという考えは、1974年からあったものなのだ。
その頃スイスで他の宗派の者たち及び政府関係者と会談中に「独立はもうほぼ無理であろう、ウ・ツァン、カム、アムド三区を統合した真のチベット自治区の実現を要求するのはどうか」という話が出ていた。
そこに1979年鄧小平が「独立以外の話ならどんなことでも話し合おう」と言ってきたのだ。
その時こちら側はすでにその状況に対し準備ができていたとも言えるのだ。
これまでわれわれは人としての当然の権利を主張し続けているだけだ」
対話について
「対話は対象の違いにより二つに分けられる。
第一は中国政府に対してだが、政府に対しての私の信頼は、前にも言ったように、益々薄くなってなってきた。
しかし第二の中国の人々に対する私の信頼と尊敬は少しも損なわれていない。
長い歴史と文化を持つ、現実的対応のできる素晴らしい人々だと思っている。
だから、これからもチベット人は中国人の友人を積極的に増やし、交流を盛んにすべきだ。
今年の3月10日以降、多くの中国の知識人が私の中道路線への支持を表明してくれた。
89年の天安門以降、中国の知識人達の態度は一変した。
中国の民主運動家とは度々会っている。
これからも中国人とは仲良くしていくべきだ。
何れ、チベットはインドと中国を隣人として生きていくしかないのだ。
仲良くしていくしかないのだ」
といったことをお話になりました。
BBCの言う、
「このままでは近い将来チベット人は危険な状況にいたるであろう。
近い内に中国が良い方向への態度を示さない限り、独立への方針転換もあり得る」
については最初の一行目は主にチベット人にはっぱをかけるために言われた言葉であり。
次の一行は中国に対して言われた言葉です。いっしょにすると誤解も起るでしょう。
一旦ここまで。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)