チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月30日
ミラレパの詩を一つ
朝方のブログの最後の方に少し触れた<ミラレパ>という音にすぐに反応したある人の要望に応えて、ちょっとだけミラレパの詩の一節をご紹介いたします。
相当昔に訳したものです。
チベット人の心を知るにも、人の心を知るにも、自分の心(人生)を知るにも少し役立つはずです。
ミラレパほどチベット人に親しまれている行者、詩人はいないでしょう。多くのチベット人が多くの詩歌を暗唱しています。
ダライラマ法王もここ数年に渡り、新年の長い法話の合間を縫って「ミラレパの十万歌」のルン(説明なしで、ある特定のお経等を全文読み聞かせることにより、教えを伝授すること)を今年終了されました。
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ミラレパ(1040~1123)はその生涯を厳しい苦行と洞窟での瞑想に費やし、ついに完全な悟りに至ったと言われる。
残された宗教詩は『ミラグルブム(ミラレパの十万歌)*1』として弟子達によりまとめられた。
その中から有名な『 キラレパとの出会い』の章の始まり、 『 鹿と狩人』と呼ばれる一節より;
尊師*2に帰依いたす。
ジェツン・ミラレパは、親しい弟子たちを各々の瞑想場に残し、独りネパールとチベットの境にある ニ・シャン・グル・タと呼ばれる遥かな山上の瞑想場に向かった。道は険しく、雲が湧き、深い霧に覆われ、絶えまなく雪や雨に打たれた。右手には険しい崖があり野獣の叫び声が響き、上空には禿鷹が舞っていた。
左手には厚く緑に覆われた美しい草原の丘があり、そこには鹿やゴワ(チベタン・ガゼル)やナワ(チベタン・ブルーシープ)等が互いに、優しく気持ちよさそうに遊ぶ姿が見られた。
行く手には心地よい森があり、様々な花が咲き乱れる中を、ラグーンや猿が軽快に飛び回り、孔雀や雷鳥等の様々な美しい鳥たちが例えばキュルルルーと鳴き交わしながら飛び交っていた。
洞窟の辺りでは渓流の音、雪渓から滴る水の音などが重なりあい、優しく響きあっていた。
この洞窟はカタヤと呼ばれ、備えるべき瞑想場の条件をすべて満たした、人里離れた静かで喜ばしいところであった。
ここでミラレパは、善なる鬼神達の庇護を受け、<川の流れのサマーディ(三昧)>の日々を送っていた。
ある日、遠くから犬の吠える声が聞こえ、続いて大きな音がした。
ミラレパは「今日まで、この場所は瞑想に相応しい所だったが、さて邪魔が入りそうだな」と思った。
そして洞窟から出て、近くの大きな岩の上に座し、<非無縁の慈悲*4>に溶けいった。
しばらくして、いくつもの矢を受け血を流す黒い鹿が、恐怖の様で目の前に現れた。これを見てミラレパの心には耐え難い、深い哀れみの情が込み上げてきた。
「前世の因果によりこのような動物の身に生まれ、今生ではいかなる罪深いことも犯してはいないのに、このような耐え難い苦しみを受けねばならぬとは、何と哀れなこと! いざ、この鹿に大乗の教えを説き、永遠の至福に導くべし」と思い、鹿に歌い掛けた。
ロ・ダク・マルパ尊師に頂礼す
生きとし生けるものの苦しみを救いたまえ!
鋭い角持つ鹿よ、私の歌に耳傾けよ!
お前は今、外に現れた何ものかから 逃れようとするばかりに
内なる無明と迷いから 己を解き放つ機会を得ない
悔やみ悲しまず お前の心と体を忘れよ!
今こそ内なる無明と迷いを 捨て去る時だ
熟した業の力は素早く強い 迷いの体のまま疾走し、いかに業果を逃れよう
逃れたくば 心の精髄の中に逃れよ
逃走したくば 悟りの場へと疾走せよ
他の逃げ場はすべてまやかしでしかない
まやかしの心をすべて破壊し 私とともにここで静かに暮らすがよい
今お前の心には、死が堪え難いものとして現れ
山を越えれば助かる、こちら側にいれば捕まってしまう
この恐れと期待の故に、お前は輪廻に彷徨う
されば今、お前に<ナローパの六ヨーガ*4>を教え
<マハームードラ*5>の瞑想を伝授しよう
この歌は凡天(ブラフマン)の調べのごとくに、心地良く、声のとどくいかなる有情の耳をも魅惑するような声で歌われた。
ミラレパの慈悲を受け、鹿は恐れと苦しみから解放された。
目から涙を流しながら、側にやってきて、衣をなめ、ミラレパの左側に座りくつろいだ。
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訳注 *1 日本語訳として『ミラレパの十万歌』おおえまさのり訳、めるくまーる社、1983年発行があるが現在絶版。これはGarma C.C. Changの英訳本1962年発行からの翻訳であるが、なかなかの名訳と思う。
今回の翻訳はルペー・ゲルツェン(1452~1507)編、シェリック・パルカン1994年版のチベット原文を底本とした試訳である。
*2 ここで呼び掛けられている『尊師』とはマルパ(1012~1097)のこと。マルパはインドから密教の教典を多く持ち帰り、翻訳し、多くの弟子を持った。チベットでのカーギュ派の祖師となった。
ミラレパは若い頃の悪行を悔い弟子となったが、マルパは初めその悪行の浄化のためにと、建設などの苦行を強いた。
*3 チベットの仏教教学では『慈悲』を、
1『有情を見る慈悲』、
2『法を見る慈悲』、
3『非無縁の慈悲』と分ける。
2は無常の理解と共にある慈悲、3は空の理解と共にある慈悲、1はその他一般に対象を苦しみから救いたいとの思いである。
*4 ナローパはマルパのインドでの師であり、多くの密教の教えをマルパに与えた。
六ヨーガとは
1熱のヨーガ、
2夢のヨーガ、
3幻身のヨーガ、
4バルド(中有)のヨーガ、
5転移のヨーガ、
6光りのヨーガ、でありチャクラ(インドの伝統的生理学に基づいた神経叢)やプラーナ(気)を使った究境次第のヨーガである。
*5 「大印(大いなる印)」と訳される。チベット仏教では日本と比較して「空」の理解は「慈悲」と共に非常に大事とされ、行の中心とされる。カーギュ派に伝えられた止観双運による「空の瞑想」が「マハームードラ」とよばれる。同等のものとしてニンマ派に「ゾクチェン」、サキャ派に「ラムデ」、ゲルクに「ラクトン(時に同じくマハームドラーと呼ばれることも)」がある。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)