チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月29日
続チベッタンジェノサイド裁判
先の5月20日のブログでも紹介した。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-05.html?p=2#20080522
<中国共産党によるチベット人に対するジェノサイド>
の真偽を審理する、正式な裁判がスペインのマドリッドで開かれている。
このことについて、今回の裁判に証人として出廷し、すでにダラムサラに帰ってきたた、ジャンペル モンラム氏にちょっと話を聞いてみた。
ちょっとと言っても彼は早口でまくしたてる癖があるので、たくさん聞いたように思う。ノート取れない早さなので今はあまり内容を覚えてない、、、
「それでみんな英語できない者ばかりだったけど、通訳付いたの?」
「シェルパの一人が付いてやったよ」
「へーシェルパ!それにしても君の早口じゃ大変だったろうね」
「大丈夫さ、ちゃんとみんな録音してたからさ」
「パルデン ギャンツォは得意の入れ歯抜きを披露するし、バクドは泣くしで、
ほんまに笑ったよ、、、は冗談だよ。書くなよ!」ヒヒヒ、、、
二人をよく知る人のみに通じるダジャレ。
「それにしても今までは監獄に入って中国にむちゃくちゃやられても、言いに行くとこがなかったから、随分悔しい思いをし続けてきた。
もちろん今までにも国連の人権委員会とかにも訴え何度も何人もが証人として証言してきた。
でも国連じゃいつも中国の力に負けてしまう。
国連だって国際裁判機関に対しこのことについて審理するように勧告してきたのだ。
スペインにはこの国際裁判を行う権限が有るという。
これからもたくさんの元政治犯が証人として呼ばれるだろう。
我々は真実しか語らない。ほとんどは元僧侶化、尼僧だしね。
これはチベット問題の新しい展開だと思って期待してるよ」
この時のパルデン ギャンツォ氏の話を
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21272から引用する。
「50年に渡る同朋チベット人に対する中国のジェノサイド。
軍事侵略によりすでに100万人以上が殺された。
ここに至って遂に真理を裁く裁判所が我々の苦しみに耳を傾けて下さるという。
かつてチベットの監獄で日々拷問を受けていたころの私の夢は
数へ切れぬほどのチベットの兄弟だちが耐えねばならなかった恐怖をいつかある日
裁判所で証言することだった」
ところで誰を相手に訴えているかというと:
もちろんフーチンタオを含めて
seven former Chinese leaders are accused of genocide, torture, crimes against humanity and terrorism, including former President, Jiang Zemin, and former Prime Minister, Li Peng,
なのだそうです。全員の名前は記されていません。
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嘗て確か7,8年前、ダラムサラに資料館を新しく作る計画があった。私は設計を担当するだけではあったが、友人のイスラエル人が企画の中心だったので、企画にも少し関わった。その資料館は今完成してツクラカンの入口近くに<チベットミュージアム>と言う看板の下に開いてる。
この資料館の初めの名前は<チベット ジェノサイドミュージアム>だった。
それで私も仕事を引き受けたのだ。
しかし結局名前も内容もトーンを落とされてしまった。
誰が?政府がそのような方針だったから。
亡命政府はこれまで自分から<ジェノサイド>という言葉を使うことを避けてきたところがある。
でも今はもうダライラマ法王だって<カルチャージェノサイド>という言葉を使われている。
私は昔から<ジェノサイド>と考えてた。
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そのうちフーチンタオも死刑という日が来るかも!?
日本にはこんな真似できないよね、、、もちろん。
それにしても少し遅すぎる。
それまでチベットが持ってくれることを祈るよ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)