チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月29日

中国の武装軍団に一人立ち向かうカモ(カムの女性)の勇気

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746638a6.JPG昨日28日の出来事。

女一人で大勢の武装警官隊に立ち向かうにはどれほどの勇気が要るのか。
そのあと、どれほどの耐え難い拷問が待っているかを知っていながらに尚を声を上げないではいられない、、事情とは?、、、

http://www.stoptibetcrisis.net/pr280508.html
連帯委員会 2008年5月28日 リリース
Y女史訳

確認された情報によると、5月28日午前10時頃(現地時刻)、チベット人女
性リンチェン・ラモ・タポンツェンが、カンゼの街で一人中国に対して抗議行動を行った。
短い抗議の間、彼女は叫んだ。

チベット独立!」
「ダライ・ラマ法王様のチベットへのご帰還を!」
「中国国民は、元のお国へお帰りください!」

叫びながら、リンチェンはチベット国旗を掲げ、チラシを配った。
彼女は武装治安部隊によってたちまち逮捕され、凶暴な殴打にさらされ、口と鼻から血が流れ、その顔は血だらけだった
と目撃者は語った。
中国警察がリンチェン・ラモを連行していく時、周りにいたチベット人達から彼女の即時釈放を求める声が上がった、しかしその後すぐに銃声が響いたという。
武装治安部隊に実際撃たれた者が何名いるのかについては未だ不明である。

チベット全域は未だに厳しい軍の統制下に置かれており、特に僧院は厳戒下にある。「愛国教育」運動はチベット高原全域にて実施され続けている。
この(中国式)教育運動の一環として、チベットの人々は次のような極度に捏造されたプロパガンダに晒されている――過去のチベットは「暗黒の封建社会」で、寛大なる共産党がチベット人に「幸福」をもたらした、というものだ。
小学生でさえ、この「分離主義への対抗」と「ダライ・ラマ批判」を推し進めようとする運動から逃れることはできない。
子供達は共産党を賛美する作文を繰り返し書かされ続けている

ゾゲにあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院から逮捕された24名の僧侶のうち
、8名は釈放されたが、残り16名は拘束され続けている。

700名以上の僧侶が起居しているアバのキルティ僧院においては、3月28日以来続
く中国武装部隊による襲撃により、120万元(約1800万円)以上の価値のある品々が治安部隊によって略奪・没収されたという。
さらに、この僧院のチベット大蔵経典テンギュル(論書)/カンギュル(経典)を含めた貴重な経典類を始め、多くの歴史的芸術品も甚大な破損を被ったという。

チベットでは、誰かが亡くなると残った家族は亡くなった者のため、必ず死後四十
九日
までの間、その死者がよき転生を遂げられるように祈りを続ける。
近所の僧院の僧侶が、こうした祈りの儀式を執り行う。
しかし、中国当局により僧侶達の自由な移動は制限されており、信者達も事実上、お互いのつながりを断たれている。
大昔から行われてきたチベット人にとってはとても大切な宗教的な儀式や社会的な慣習を自由に行う権利が、明らかに剥奪されているのだ

現在も続いているチベット域内における危機的な状況に鑑み、我々は国連および国際社会・国際機関に対して、以下の点を大至急要請する:

1. チベット域内に、独立した国際事実調査使節団を大至急派遣すること
2. 中華人民共和国政府に対して、自由な報道機関がチベット全域に無制限にアク
セスできる許可を出すよう、圧力をかけること
3. 中華人民共和国政府に、チベット全域における残虐な殺戮をやめるよう、圧力
をかけること
4. 逮捕・投獄されているすべてのチベット人を即刻釈放すること
5. 負傷したチベット人達に大至急、医療措置を施すこと
6. 人々の自由な移動を許可し、生活必需品が手に入るようにすること

チベット連帯委員会

(以上)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

悲しい話です。
<カンパ>に対して<カモ>と呼ばれるカムの女性は昔よりその勇気で名高い。
もちろんカンパも負けん気が強いから、自然に相手の女性も強くなった、、のかあるいは逆か?は知れませんがとにかくうちのレストランでもカモはめっぽう気が強い。

それにしても大勢の武装した警官に囲まれめった打ちにされ、、、哀れです。

その後の発砲は気になります。中国軍はすぐに簡単に発砲するようです。
相手を人とは思ってないふしがあります。

親族が亡くなってもまともな葬儀を行えず、49日も出せないとは!!  
チベット人にとってこれほど哀れなこともないでしょう。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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