チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年3月25日
ナンシー ペロジ女史ダラムサラ訪問
やっと写真が添付できました。
12人の議員のうち、10人は民主党、2人は共和党だそうです。なかでもこのなかの1人でカリフォルニアのジョージ・ミラーとかいう人が特に人気があるとか。
もう1枚は、手作りのプラカードを持って会場に来ていたTCV(難民学校:チベット子供村)の2人。
昨日(22日)のアリ(「アリ」とはアメリカのことです。ここのチベット語です)から来たナンシー女史はアリでナンバー3、女性では最高の地位にある人だそうです。いっしょに12人もの議員が来たのです。ダラムサラの町中には、時ならぬアリの国旗が突然溢れました。
実際アメリカの下院議員連盟が中国に対し何ができるか疑問ではありましょうが、まずはチベット人は大喜びした訳です。
議員連のすぐ後ろにギャリ・リンポチェの姿がありました。この前のゴールデンメダルの授賞式の時も姿をお見かけしました。ロビイストとしては彼がチベット一でしょう。現在いるチベット人の中で一番頭の切れる、生まれつきの政治家だと思います。
ナンシー関連の日本の報道をみていて、毎日新聞の記事はひとつ気になります。ダラムサラ発のようになっていますが、まだ毎日の人には会っていません。
記事にナンシー女史の発言として
「チベットの独立を信じる世界の人々が中国の鎮圧行動に対して声を上げなければ、(独立を達成する)力は失われる」と述べた。
とありますが、これではまるで、ダライラマ法王が独立を主張していて、それを支持しようと呼びかけた、という意味になりますよね。私はその場にいましたが、ノートにはそんなことを言った箇所はどこにも見当たりません。「Free Tibetを」とも言ってません。不可解です。
とにかく彼女は「チベット問題により、今世界の良心が試されているのだ」ということを強調してたようでした。
チベット人の間では、彼女はこの後すぐに北京に行くそうだ、という噂が流れ、中国との対話のために具体的なことをしてくれるような期待が高まっていました。でも、実際は、「デリーに来たついでに、昔から一度来たいと思っていたので、今度来た」程度の話だったようです。
また今デモが始まったようです。昨日(22日)は夕方まで静かで、暗くなってからキャンドルデモがありました。昨日今日とインドはホーリーです。それで今日もデモはないのかなと思っていました。毎回1000人ぐらいの参加者でしょうか。まだまだこちらは勢いを失ってはいないようです。
ハンガーストライキには、昨日は40人ぐらいのまだ幼さの残るTCVの学生たちが加わっていました。夜になって冷え込んで、みんな毛布にくるまってくっついて寝ていました。
記事はこれですね。
チベット暴動:米下院議長、国際的な調査求める ダライ・ラマと会談
チベット暴動:米下院議長、国際的な調査求める ダライ・ラマと会談
【ダラムサラ(インド北部)栗XXX】米国のペロシ下院議長ら議員団が21日、インド・ダラムサラを訪れ、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世らチベット亡命政府首脳と会談した。中国チベット自治区での暴動発生以降、外国要人がダライ・ラマと会談するのは初めて。会談後、共同会見に臨んだペロシ議長は、今回の暴動について国際的な調査を求める一方、中国と亡命政府の対話の必要性も訴えた。
ペロシ議長は対中強硬派として知られ、チベット問題でも中国に厳しい態度を取っている。ペロシ議長がダライ・ラマと会談したことで、中国が米国への反発を強める可能性もある。
ペロシ議長は会見で「国際調査では、ダライ・ラマと暴動との関連性がないことが分かるだろう」と亡命政府側を擁護した。
さらに「中国は外国人ジャーナリストらがチベット自治区に入ることを認めるべきだ」と語った。議長のダラムサラ訪問は暴動発生前から計画されていたという。
会談に先立ち、ペロシ議長は仏教寺院で亡命チベット人ら約5000人を前に演説し、「私たちはチベットの人々と悲しみを共有するためにここにいる」と強調。「チベットの独立を信じる世界の人々が中国の鎮圧行動に対して声を上げなければ、(独立を達成する)力は失われる」と述べた。 毎日新聞 2008年3月22日 東京朝刊
「亡命チベット人ら5000人」のなかに日本人もいた訳すか。記事がなんでそうなったのかは私程度には分からないけど……とりあえずここで「違うってよ」って書いておこう。
画像の手前にテレビカメラとかずらっと並んでいるのを見て、昨秋ジャーナリストとして日本に招かれて会ったプルブ君やダセル君やジグメさんたちはどうしているだろう、つらい仕事だろうな、と思い起こしました。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)