チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年3月30日
チェーンハンガーストライキに加わりました。
今日午後2時から、日本人5人がチェーンハンガーストライキに加わりました。
明日の2時までです。
他の皆と、お経を唱え続けています。とりあえず現場から。
プェーゲェールローー!(チベットに勝利を!) 日チベ連帯!
31日午後2時(日本時間同午後5時半)までですね。応援の国際携帯電話を!
直接の面識のない方だけど、北京五輪非公式チベット選手団「チーム・チベット」のユニフォームの黒ジャージがカッコイイです。もらった画像、特にモザイクとかかけなかったけど……いいよね、“民主主義の国”“言論の自由のある国”日本からのメンバーだし……?
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過日、お世話になってるチベ界の大先輩から「大丈夫? やせてない?」と労っていただきました。
今から1週間前くらい、半日ごとに事態が動いてわーっとなっていた数日間は、気付いたら昼食も夕食も食べ損ねて、眠れなくて結局朝までメールの応対に追われたなんて日もあって、あの日は自分でもびっくりしたけど一晩で体重が1kg減ってました。鏡見たら、目の周りがごっそり落ち窪んで目の下はどす黒く充血して、ちょっとした遺体みたいなかなりヤバイことになってましたが、
もしかしてこれがホントの「チベットでダイエット」……
とか一瞬思った(いやほら「チベット式体操で痩せる!」って流行ってたんではっはっはっ)わけですが、不謹慎で誰にも言えなかったり。
んで飢餓状態にあるとリバウンドがくるわけで、翌日普通にご飯食べて一晩寝たら、すぐに1.5kg戻りました。人体の神秘。つーか増えてるし。
てな感じで壊れつつ元気です……大先生、ご心配ありがとうございました。
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(4月1日追記)
日本人ハンガーストライキの報告です。無事、終了したようです。ゴミ収集場の横だったんですか、あの写真。ううむ。犬も来るなあ……。お疲れ様でした。
み……水も飲めなかったんですか! ゆっくり体を休めて下さい……。
さて、昨日(3月30日)はハンガーストライキでしたが……とにかく夜眠れなかった。
チベット人たちは夜遅くまで、話したり、お経唱えたりでした。それが終わったころから、あたりの野犬たちが大勢集まり、お祭り騒ぎを始めました。場所はどこかはっきり判りますか? 寺(ツクラカン)の門の前下に向かう道との三叉路の上公衆トイレの上、塵収集場のすぐ横です。この野犬の喧嘩や遠吠えが朝まで続きました。
そうそうあと一つ。仲間の日本人が水を飲もうとしたら「水はだめだよ」と言われました。「え! 水もだめなの! 飲むのもだめなの!」とその日本人は驚き、がっかりしたようでした。断食中は、体のためを思うなら水を沢山飲むべきと思うのですが……。まあ1日だし、いいかね。
私は(午後2時の)終わりも近づいたころ、ダライラマ法王が来られるというので通信社の記者に付き合いその場を離れました。それがそのまま飲まず食わず午後4時まで。余計なハンスト延長でした。
法王は、皆が集まって例の念誦会を続けてるところに自ら加わられ、1時間ほど、様々な祈願のお経を上げられました。道すがらに記者が話しかけましたが、その時は何も答えられませんでした。
2日前、デリーから帰られた時は、大勢のチベット人が寺の前、ハンストをやってる場所で珍しく車から降りられ、ハンストをやってる人たちみんなを激励し、「これは抗議の仕方のうちいいやり方だ、金もかからないし ハハハ! 何より静かで平和的手段だ」とおっしゃいました。
そりゃぁ盛り上がりますなハンストも。
うん、やっぱり、ダラムサラにいるチベット人は、法王のもとで暮らしている、というだけで、本土チベタンより数段、なんというか言葉が見つからないけど、報われてる? 実感があるのかも知れないな、と思いました。
アムドでチベット国旗を掲げていた青年や、ジョカンで涙を流していたお坊さんが、いつかギャワリンポチェから直接、一言でいい、「苦労したな、つらかったな」と言葉を掛けられる機会があってほしいな、とふと思います。
……ところで、「なにより静かだ」って。連日のデモのコールがパレスまで届いてて「またやってるなぁ」とか思ってたんでしょーか、法王は(笑)
メールには、追伸も。
そうだ、さっきのハンガーストライキの場所がひどかったことの話のついでに、眠れない夜に思い出したことの一つ。
そういえばこの場所はかつて、リチャード・ギアに頼まれて“マクロード美化計画の一環”として私が図面を書いた場所だったな、と。このツクラカンに至る三叉路に「リチャードギア広場」(?)を作ろうと、測量して、楽しい広場を図面にまでしたのでした。が、結局、インドの営繕部がそれでは自分たちに入るはずのいつもの余剰金が無くなるというので、こんな汚らしい広場ができたのでした。
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はははは(^^;;;
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)