チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年3月31日
委員会発表、今後の行動計画。
今日(3月31日)はまず、午前11時から情報省で「Tibet Solidarity Committee」(※)が記者会見。実はその時配られた資料を探しても見つからないので、覚えてるだけ報告します。主にこれからの行動計画についてでした。
4月6日は祈祷日。
ダラムサラでは法王自らを導師としてツクラカンで午前8時から午後4時まで様々な真言、祈願のお経(ターラ21尊、観音、タムディン、プルバなどなど、最後に普賢祈願経)を唱える。この日はその他のそれそれのキャンプ地や外国の都市毎に、地区の導師のもとで、できるだけ大勢が集まり同時に行う。
4月7日は「頭、丸める日」。
「頭丸める日」とは如何に? このところダラムサラでは頭を剃るのが流行ってるといいましたが、この流行は、どんどんここの男たちに広がっています。で、それにしてもその日にできるだけ多くのチベット人(この際サポーターの外国人も含めて)が頭を丸めるのだそうです。
意味は服喪(インドの風習からの連想です)、抵抗の印でしょう。デモは僧侶が先導してることもあるのでしょう。会見した担当者は「チベット本土の人もこれをやるといい。さて、中国の法律に『頭を剃ってはいけない』というのがあったかな!?」と笑い飛ばしていました。
4月10日から12日までの3日間は、デリー、ボンベイ、コルカタ、バンガロールのインド4都市、及び世界中の都市、地区にチベット人とそのサポーターが終結し、平和的デモを行う。
10日には142人の犠牲者(この人数は増加する可能性あり)の葬式を行う(模す)。それぞれの地区で工夫して、棺桶142基とか、死体(本物!?)とかを担いで、喪の行進を行う。
11日にはこれまで判明している1500人以上の連行、拘留、逮捕されている人たちが拷問や虐待を受けないようにと訴える、人権の日。それぞれが工夫して中国の監獄を演出し、行進する。
12日は、負傷者が適切な治療を受けられるよう訴える日。現在もデモなどで負傷した多くのチベット人たちが病院に行けずに苦しんでいる。病院側が受け入れないとの情報もあり、また、病院に行って逮捕されることを恐れて行けない人も多いとか。この人たちが適切な手当てを受けられるように訴える日。それぞれが工夫して、包帯、トイレットペーパー等を巻くとかして、負傷者の姿で行進する。
4月17日、デリーにオリンピック公式トーチが来る日。チベット人はデリーのジャンタールマンタールに集まり、トーチリレー自体の妨害はせず、その中に留まって訴える。法王はじめチベット人はオリンピックの開催そのものには反対しない。しかし中国が自ら五輪誘致時に公約している、人権状況を改善するという約束を守ってほしい、と訴える。委員会としては、トーチには一切近付かない。「他の誰かかがそうすることもありえるが……」とも。
飛んで4月25日はパンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チュキ・ニマ青年)の誕生日に当たる。この日も、各地にそれぞれ集まり、パンチェンラマの解放を訴える。
次いで4月26、27、28日の3日間、そのうち28日は、3月10日から数えて四十九日に当たる。そこで、チベット仏教の習慣に従い四十九日法要を行う。
以上、覚えてる範囲ですが、これがこれからのこの委員会の行動計画です。日本のダライラマ法王事務所からもおそらく発表があると思います。確かめて下さい。報告はまだあるのですが、今長い停電なのでバッテリーが切れそうです。
いったんここまでを送ります。
(※)チベット武力制圧後、チベット亡命政府が主導して立ち上げた、グチュスムやSFTなどのチベット人グループを横断的にまとめた組織。コミッティーのチベット語名称を日本語に直訳すると「チベット政府民間緊急行政委員会」といったところ。
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チベットでもやっぱり四十九日があるんですね。大阪の友人たちが「ちょうど四十九日前後に当たるから」と、お経を上げられる人を探してチベット問題アピール行動を計画してるのは、正しかったんだなあ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)