チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2016年12月11日

12月8日、マチュで中国政府に対する抗議の焼身を行い死亡したタシ・ラプテンの遺書(日本語全訳)

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12月8日、アムド、マチュで中国政府に対する抗議の焼身を行い、死亡したタシ・ラプテン。

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彼は中国語で遺書を残していた。母語であるチベット語ではなく中国語で書いたのは中国人にも訴えたいという思いが強かったと思われる。「13億人の人権と民主のために吶喊(時の声を上げる<中原注)したいと願うばかりです。」と書かれているから彼の訴えは、チベット人と中国人の違いを明らかにしながらも、中国人の訴えでもあることになる。

文中には日本への言及もあり、「私は日本人が好きです。敬慕しています。」と書かれている。日本人にも手を差し伸べてほしいと思っていたであろう。

すべての焼身者たちの心情をよく代弁する、素晴らしい文章と思う。彼の最後の願いが世界に届きますように。

以下、劉燕子さんのフェースブックから。
原文は最後に。
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燕のたより
(日)ルンタからの情報により、12月8日、マチュで焼身抗議したタシ・ラプテンさんの遺書を日本語に翻訳しました。中原さん、みなさん、筆がふるえながら、祈りつつ……

12月8日、アムド・マチュで焼身抗議を行ったチベット人の遺書(試訳)。

私はチベット人であり、従って、中国人ではありません。でも中国のパスポートを持つチベット人として、13億人の人権と民主のために吶喊したいと願うばかりです。さらに、私は正真正銘のチベット人として、我々自身の母国と自由のために吶喊しなければならないのです!
今日、私はいよいよこの世から去っていきますが、しかし、私たちチベット人の信仰に一層近づいていくのだと信じています。私たちは、このような方法を用いて、私たちから失われつつあり、私たちから遠ざかりつつある自分自身の母国を探し求め、取り戻すことが運命づけられているのです。私たちは焼身抗議の方法で、隔絶された自分自身の信仰と母国を呼びかけることが運命づけられています。
私たちは尊者(ダライ・ラマ法王)についていくことを願うばかりです。
私たちチベット人はただ平和的な手段で中国政府との間の問題で解決したいのです。1958年のような、中国の軍人による大虐殺や人間性を絶滅する侵略戦争が起きることなど全く望んでいません。
また、私たちは再び「打砸抢(ダァザァチャン:暴力・破壊・掠奪」の罪をなすりつけられたくありません(2008年3月のチベット抗議蜂起の時に当局が「打砸抢」を繰り返して罪をなすりつけた)。あの2008年、中国国内の漢人以外に、世界では私たちチベット人が「打砸抢」をやったなどと、ほとんど誰も信じていませんでした。
それは、中国内の漢人の大半は既に洗脳されているからです。中華人民共和国の樹立から、彼らはずっとマンド・コントロールの状態に置かれ、偉大なる指導者を思い慕いながら、共産党の革命歌を合唱し、「四つの近代化」を押し進めています。
2008年3月、いったい誰が「打砸抢(ダァザァチャン)」をやったのか? その真相は何か? まさしく中国当局に派遣された武装警察と軍がチベット全域で「打砸抢殺(ダァザァチャンシャァ)」の「政治運動」を繰り広げたのでした。
昔、中国人は日本人に「三光政策」をされたと非難するが、もしかしたら、作り話にすぎないかもしれない。もしかしたら、本当にあった悲劇かもしれない。その真偽のほどは、私には分からない。しかし、私は一チベット人として、日本人に対して歴史的な憎悪など抱いていません。私は日本人が好きです。敬慕しています。
だが、中国軍がチベット地域、とりわけチベットの各寺院に対してこのような「(三光)政策」を実行したのは本当です。彼らは私たち一般のチベット人から僧侶まで手あたり次第に殴りつけ、仏像を叩き壊し、寺院の文化財を掠奪しました。尼僧や僧侶、若き学生、またラサに向かう巡礼者を虐殺しました。
1958年はチベットの僧院を放火し、今は戦車とブルドーザーで破壊しています。近年、武装警察、および武装警察の制服を着た部隊が派遣され、多くの寺院、および寺院の周りの僧房は戦車とブルドーザーによりことごとく廃墟にされています。
最後にみなさんにお伝えしたい。私が冗談を述べているなどと、決して思わないでください。私は真摯に訴えます。分かってください。私たちチベット人は決して死を恐れません。だが、平和的に解決したいのです。そのため、私も、やむを得ず焼身抗議の方法を選びます。人々に告げ知らせたいのです。私たちチベット人は、思いやりやいたわりを求めています。自分自身の土地で真に人間らしくしっかりと生きていかねばならないのです。
チベット人万歳! ダライ・ラマ法王万歳!
2016年12月8日、マチュにおいて、火鳥

中:12月8日 玛曲抗议自焚的扎西留下一份中文遗书。信息来自隆达。笔者翻译成日文。手指颤抖,不住地祷告……

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筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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