チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2016年12月9日
<速報>アムド、マチュで新たな焼身抗議 152人目 / 2児の父 従兄弟の焼身現場で
昨日、12月8日現地時間午後6時頃、アムド、マチュ(མདོ་སྨད་རྨ་ཆུའི་རྫོང། 甘粛省甘南チベット族自治州瑪曲県瑪曲)の街中の歩道の上でチベット人が焼身した。
スマホでこれを撮影したと思われる映像がフェースブックにいくつかあげられている。その中には焼身者が炎に包まれながら前へ歩く姿や、街路樹のそばに倒れこみ、手を空に向けたままの姿勢で燃え盛る炎の中で動かなくなっている、というものある。
1人の女性が近づき「ダライ・ラマ法王よ照覧したまえ。この方が悪趣に落ちることから守りたまえ。中有においても守りたまえ」と唱えている姿が映っている。子供が近づき、じっと燃えるその人を見つめているというのもある。しかし、かつてよく見られたように、目撃したチベット人たちが焼身者を取り囲み、お経をあげながら見守り、当局が遺体を持っていかないようにする、というシーンは今回は見られなかった。
1日経つが、今の所この焼身者の氏名等の詳細は未だ明らかになっていない。「当局が持ち去り、死亡が確認された」という情報だけ入っている。
ビデオだけでは、この焼身が何の目的で行われたのかは判明しない。しかし、チベットでは2009年から焼身という形で中国共産党のチベット政策に対する決死の抗議が続いている。しかし、今年に入り3月23日に四川省アバ・チャン族自治州ゾルゲ県で、5人の子を持つ50才の女性が焼身抗議を行って以来、およそ8ヶ月半抗議の焼身は発生しておらず、ほとんどの人は「すでにチベット人の焼身抗議は終わった」と思っていたはずである。今回の焼身も中国政府への抗議と思われる。
ほとんどの焼身者は最後に「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王がチベットに戻られますように!」と叫んでいる。チベットにおける中国共産党による政治・人権弾圧は続いており、状況は全く良くなっていない。この状況が続く限り、焼身抗議も続くかもしれない。
この焼身は本土チベットで146人目、外地の6人を合わせ152人目となる。
チベットの焼身抗議については私の拙著を参考にして頂ければと思います。
マチュでの焼身はおそらく2人目であろう。マチュは焼身の多いところではない。ただ、マチュで2012年3月3日に焼身・死亡した19才の女子中学生ツェリン・キが私には特に気になっており、映画『ルンタ』でも取り上げて頂いたし、共同通信さんには本土まで行き、お母さんにインタビューもして頂いた。その時の記事を是非読んでいただきたい。
続報:焼身者の氏名が判明した。タシ・ラプテン(བཀྲ་ཤིས་རབ་བརྟན། 、31歳)。
彼はなんと、上で引用したツェリン・キの従兄弟という。ツェリン・キのお父さんとタシ・ラプテンのお父さんが兄弟とのこと。そして、彼が焼身した場所はツェリン・キが4年半前に焼身した場所と同じという。そこは小さな野菜市場であり、私は何度かそこに足を運んでいる。タシがガソリンを被った場所もツェリン・キがそうしたと言われる野菜市場の奥にある公衆トイレとのこと。
彼は前の道に出て火をつけた。周りの人たちが「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットにご帰還あれ!」と彼が炎に包まれながら叫んだのを聞いた。
今日になり、家族が当局に回収された遺体の引き渡しを求めて警察に行ったが、遺体の引き渡しを拒否され、さらに妻と2人の子供、一緒に行った親戚全員が拘束されたという。
続報その2(12月10日):9日付RFA英語版とチベット語版に、新たな情報が含まれていたので追記する。
RFAによれば、タシ・ラプテンの年齢は33歳。子供の数は2人でなく3人という(VOAは2人と)。
出身地はマチュ県トコメマ地区カシュル郷ダクト村(རྨ་ཆུའི་ཁྲོ་ཁོ་སྨད་མའི་བྲག་ཐོ་རུ་ཆེན། )。
父の名はタンペ、母の名はドルカル・キ。
目撃者がRFAに伝えたことろによれば、タシ・ラプテンは焼身中、「チベットの自由とダライ・ラマ法王の帰還」を訴えただけでなく、「パンチェン・ラマの解放」も訴えたという。
事件後、多数の警官と武警が彼の家に押しかけ、家族を詰問し、「タシ・ラプテンの焼身は家庭内の問題が原因であり、中国政府とは何の関係もない」と認めることを強要したという。その後、妻と子子供も警察に連行された。
親戚の何人かが、警察署に遺体の引き渡しを求めるために向かったが、ソナム・イェシェなど数名がそのまま拘束された。
現在、マチュ市内とダクト村には大勢の警官と武警が出動し、緊張が高まっているという。
参照:12月10日付 VOA
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)