チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2016年5月29日

ツェリン・ウーセル 詩篇 その4・最終回 『チベット断想(抄)』

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チベット断想(抄)
一、表現

今まで、私はチベットについて表現できません。表現するのが苦手だからではなく、どのように表現したらよいのかまったく分からないのです。いかなる文法も存在していません。いかなるセンテンスも繋がっていません。いかなる語彙も、今日のような現実を前にすると、無意味になり、すごすごと遠くに逃げます。文章記号はたった三つしか残っていません。疑問符、感嘆符、省略記号〔……を指す〕だけです。
私たちの内心にはこの三つの記号が満ちあふれ、他にはありません。私たちのからだには、この三つの記号の烙印がいたるところに押されています。
見えるでしょう? あまりにもたくさんの疑問符が目に入ります。あまりにもたくさんの感嘆符が目に入ります。でも、口元にまで来ても、言葉にはなりません。言いたいことがあまりにも、あまりにも多すぎて、どう言えばいいのか分かりません。詳しく述べようとしてもできないので、ただ省略記号を繋げるだけなのです。
チベットよ。ああ。何から話したらいいでしょうか? どうして話させてくれないのですか? 私のひとみのなかで、私の口元で、あなたはどうして永遠に巨大な疑問符、感嘆符、省略記号なのでしょうか?

二、視点

今日、チベットは複雑な表情で人々の前に現れています。今日、誰もがチベットを見ようと思えば、見えるようです。遠くからでもちらっと見えます。天高くそびえる最高峰がちらっと見えます。自分が思いこんでいるチベットが見えます。
人々の目のなかで、チベットは何物なのでしょうか? 空中に漂う絢爛たる気球のようで、日増しに神話化されていませんか? それとも、毒素を注入されて、もはや治らなくなった悪性の腫瘤でしょうか?
連綿と連なる山々、融けない根雪、逆巻く急流、原始の草原、それに付随する奇異な風習、無数のラマやアニが口で唱える訳の分からない経文。これに伴い、一つひとつの視線は否応なくねじ曲げられ、屈折します。――それは旅行者の心理にある、よそ者の視線にすぎません。
実は、チベットを神秘化する、あるいは悪魔化する視線などもともと存在していなかったのです。視線の下にある広大な、あるいは微細な真相と同様に、よそ者には気づきようのない封鎖の下で、視線の下に置かれた人々だけが身にしみて体験できる状況の中でねじ曲げられ、痙攣し、転倒したためなのです。この一つひとつが屈折して変えられた視線によって。ああ。チベットは、常に既に、徹底的にぼんやりとさせられているのです!
ああ。チベットよ。実は、あなたは見ているようで、見えていません。これまでだって、これまでだって見えていなかったのです! チベットよ。実は、あなたはこれまで自分自身を見たことなどなかったのです!
あなたは自分でも自分が見えていないのに、いったい誰があなたを見られるというのでしょうか!。

三、末日

チベット人にとって、世界の末日は、あらゆる恐ろしい大預言が現実となる日ではなく、まさに、今日なのです。つまり、表面では同情して金を与えて公平に見せ、そして多少の仁慈を帯びた専制政治という、この時代です。既に「解放」が半世紀も続き、百万の「翻身農奴」* が主人公となるという名目の下で、実際は緩慢に死へと導く毒薬が、少しずつ、無数のチベット人の毛穴から肺腑へと深く染みこんできました。アルコールに似て、快楽の幻覚が引き起こされ、日に日に酔いしれ、日に日に自分を見失い、日に日に我を忘れてきました。こうして、遙か遠くの異郷に、自分にとって精神的に最も親しい者〔ダライ・ラマを指す〕が、自分の今生と来世の幸福のために、たくさんの年月を費やして奔走し、年をとり衰え、気も心も疲れ果てているのに、そのお方には無関心で、忘れてしまっています。
実際、事実、今日の無数のチベット人にとって、末日は既に今日となっていて、まさに毎日毎日が末日なのです。チベット人は末日のなかで暮らしていながら、それを知らず、末日を末日とも思いません。それは自分自身が常に既に末日の一部になってしまったからです!

四、声

そうです。私たちは自分の声を出すと、いつでも叱責されます。その叱責のなかで、最も筋が通って説得力があるように聞こえるものは、“お前たちは、食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されているのに、おれたちを攻撃する。お前たちの心はほんとうに陰険だ”というものです。さらに甚だしい場合は、“非常時になったら、さっさと逃げたらいいぞ。さもないと、やられるぞ”と威嚇します。明らかに植民者の口ぶりで、典型的なディスクールの暴力です。
私たちは自分たちの土地で暮らしているのに、このように叱責されるのは、何を物語っているのでしょうか? 悠久の歴史や伝統のある我が民族が、昔から他人の恩賜をいただいてやっと生き延びてきたというのでしょうか? 事実がそうでないとすれば、一体いつから、隣りに住む他人が家に入り、部屋に居すわり、主人へと変わり、叱責して教え諭す権力を握るようになったのでしょうか?
“食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている”というのは、いいかげんな嘘です。しかし一方で、この論調は植民者に蠱惑(こわく)された民衆には効果的です。植民者でも道理に背けば言葉に窮することも多少はありますから――そうではありませんか? 利益集団に吸収される人はみな、その生存形態が依存どころか、従属、さらには寄生になっています。そのため、か細い声しか発していないのに、ご主人から厳しく譴責されると、ただただ赤面して恥じ入り、声を呑む以外、何もできないのです。
自分の声を発することは、大いなるタブーを犯すことなのかもしれません。つまり、ある種の覇権が私たちの地域に現れ、密かに戒律を行使しているようです。私たちは暗黙のうちに受け入れ、守り従い、もしも一歩でも踏み越えるなら、「おい、気をつけろ」と、権力の太い棍棒が頭上に振り下ろされます。これもまた一種の警告で、注意を喚起するのです。そして、私たちは官権が許す範囲でしか声を出せなくなるのです。
もちろん、これは植民者の権力です。被抑圧者は声に詰まり、沈黙を強いられます。いいえ、強要されるのです。もし言えるとすれば、それは付和雷同の声でしかありません。
ナイポール* の言うとおり、帝国主義のご主人の追従者(ついしょうもの)になるだけです。さらに一歩進めば、権力のちょうちん持ちになり、これは当然、植民者の御心を大いに喜ばせ、多くの恩賞を下賜されます。ですから、“食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている”というのも承認されるのです。まるで、主人が番犬に骨をあげるとき、気前よく少しばかりの肉が付いた骨を投げるようなものです。

五、羞恥

「すべての人間は、生れながらにして自由であり……」、「すべて人間は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する……」――これは半世紀も前に全世界に表明された「世界人権宣言」の中で、最も心を打ち震わせ、また慰藉する二つの条文です。しかし、同時に最も夢物語のような文言です。とりわけ、チベットでは今に至るまで、私たちは生き方と密接に関連する言論の権利があるとは聞いたことがありません。私たちに、この権利はありません。私たちはただ、雷鳴が轟くように、昼も夜も、ただ「だめだ。だめだ。だめだ!」と聞かされるだけです。
ある日の午後、私は兵営のように深く掩蔽された宿舎で、周囲の壁や本棚を丹念に見つめました。これらは私の生とどれだけの歳月をともにしたことでしょう。沈んだ色合いのタンカ〔軸装を施した仏教画〕、それほど精緻でもないチューメ〔バターで作った燈明〕、人から贈られた、あるいは自分で撮影したチベット僧の写真、それに、小さな仏龕に端座するツァツァ〔粘土や陶製の小さな仏像〕。その頭には青い髷が結わえてあり、水のように澄みきった神々しい表情に一筋の憂いが浮かんでいます。この憂いは、まさにこの時に一層はっきりと現れていました。
――これらはすべて、私にとって信仰のシンボルで、また美感あふれる芸術作品でもあります。しかし、今、私はすべてしまい込み、人に知られないところに隠さなければなりません。それは、彼らが禁令を公布したからです。自宅で宗教に関する物品を飾ることを禁止する。絶対に禁止だ!
明日、彼らは家ごとに徹底的に調べあげます。そう。この言葉です。徹底的に調べあげるのです! 私はタンカ、チューメ、写真、仏龕すべてを段ボール箱にしまい込んだとき、深い羞恥で心が覆われました。

六、消息

毎日毎日、重大で特別な消息が、無数の矛盾のある、混乱したうわさとして次々に伝えられます。毎日毎日、私は気をもんで情報を集め、様々な消息を知ろうとします。どんな消息からでも真相を知りたいと切望します。切に切にその経緯を知りたい。これからの方向性を知りたい。最終的な結果を知りたい。しかし、あまりにも多くのうわさが真相を覆い隠し、真相を歪曲し、真相を隠蔽してしまいます。あまりにも多くのうわさの持つ効果はただ一つ。真相を沈黙に引き渡すこと。長い長い沈黙に。
沈黙。ああ。あの十五歳の少年の活仏〔後のカルマパ十七世〕の心のように、永遠に誰も分かりません。しかし、うわさが多くなればなるほど、彼はますます遠くへ離れ去り、ただ沈黙する後ろ姿がえんじ色〔チベットの僧服の色〕の世界に融けていくのしか見えません。

七、参加

人はみな参加している。人はみな逃れられない。みな同じように建設に参加する。同じように破壊に参加する。同じように幸福のゲームに、快楽の大行動に、公然たる、あるいは密かな大小の虐殺に参加する。これは目に見えない戦線です。嫌々ながらにせよ、喜んでにせよ、暗黙の了解に従って参加しているように見える。
母はこう話しました。あの時、私はあなたを産んだばかりだったので、どの政治運動にも参加せず、家であなたの世話をしていました。
ところが、母が外出すると、地面はバラバラにされた経典で埋めつくされ、頭上では恭しく奉じるべき神聖な経典の一枚一枚が放り投げられ、「造反有理」と大声で叫ぶ革命家に踏みにじられていました〔『殺劫』日本語版九八頁参照〕。母は経典を踏みつけるのは不本意でしたが、経典を拾い、ふところにしまうことなどとてもできずに……

八、良心

古くさい話題です。また持ち出すのかと大笑いされる話題です。鉄の鉤(かぎ)に心臓が掛けられています。かつてまっ赤でしたがもはや色あせ、かつて生き生きとしていましたがもはや死んでしまい、ただ値が上がるのを待つだけになりました。通りすがりの人たちが、この奇妙な色合いや不思議な形に引きつけられ、胸を高鳴らせて言葉や絵で描き始めましたが、ふとそばに屠殺人がピカピカ光る太刀を手に立っているのを見て、あわてて次々に両手で心臓を取りだして捧げました。ああ。この引き渡された心臓は、鉄の鉤にかけられて売られる心臓と同じで、何の違いもありません。

九、恋人

不思議な縁(えにし)が、彼と彼女のあいだで生まれました。不思議な縁が、特別な地名を通して結ばれました。この地名、いや、この地域は、地理学的には早くから存在していましたが、彼女にとっての意味あるものになりました。確実なかたちで言えば、今やあるお方と神秘的に繋がれ、霊的に感応するようになりました。
チベット。ああ。あたかも一本の定められたひものように、異なる地域で暮らす見ず知らずの二人を結びつけました。チベット。ああ。地理学的に言えば、追憶の地理学、遙か遠い伝説のなかの地理学、宗教的な意味の地理学で、今でもわずかに暖かな色合いが添えられていて、この名前を口にすると、たちまち優しい感傷的な心情に満たされます。それはチベットが生の恋人を、この激変する生活のなかに連れてきてくれるからです!

十、使命

一人の作家としてはもの足りない。一人の信者としてはもの足りない。一人の人間としてはもの足りない。この限られた現世の光陰のなかで、無限に長い前世の光陰のなかで。そして、この地とかの地、無数のこの地と無数のかの地、無数のこの地と無数のかの地が交叉する空間のなかで、私にできるのは、またすべきなのは、そして最もふさわしいのは一人の永遠の審美主義者であるということです。
もちろん、このような審美は、宗教的感情と人間性が輝く究極的関心に満たされているべきです。具体的に言えば、精神の故郷――チベットを見つめ続けています! ここは慈悲と智恵の化身――観音菩薩に庇護された土地です! そこは現世の苦難のなかからゆっくりと上ってきた土地です! そこは今なお懸命にもがいていますが、かりそめの生き方のなかでも希望を孕んだ土地です!
このため、私の審美は気楽なものでも、眩惑するものでも、愉快なものでも、見て楽しいものでも、百花繚乱でも、水面に浮かぶ光と影でもなく、……このような審美には、あまりにも多くの心痛、あまりにも多くのため息、あまりにも多くの涙が含まれていて、さらにまた、あまりにも多くの沈思、思考、啓示、昇華をも持たなければなりません。
このようにして、一人の審美主義者は、同時に義に従って証言し、記録するという使命を引き受けなければならないのです!

十一、故郷

……これは今まで見たことがない草原です。緑のなかに、それと違うすべての緑があり、黄色のなかに、それと違うすべての黄色があり、淡い色から濃い色へと続き、そして、濃い色からまた別の色へと変わっていき、まるで赤黒い鉄さびが浮かぶようになっています。ひと塗り、またひと塗り、ひと色、またひと色。幾重にも重なりあい、肉眼では及ばぬほど延々と山麓から天空に伸びています。なんとたくさんの花々に、なんとたくさんの小動物が走り過ぎていることでしょう。
小雨が舞っています。あの音楽がウォークマンのイヤホンから耳に入ってきます。そこに包まれていた悲しみが洪水のようにあふれ、またたく間に、この目を見はらせる草原に湧き出て、私に向かってきます。一本一本の草と一ひら一ひらの花びらに悲しみの涙の滴が落ちます。これは小雨ではありません。はるか遠い昔から流れてきて奥深く秘められた感情が、気候の作用であますことなく現れたのです。
まさに音楽が草原の理解を深めさせてくれました。音楽がなければ、たとえこの目で草原を見ても、手と足で草原に触れても、その広さと孤独を知るだけです。また、まさに草原が音楽の理解を深めさせてくれました。その曲名や背景など言う必要はありません。ただ、この音楽は悲しみのなかで黙々と耐えぬいた力を秘めています。それは、我が民族と同じ苦難にある民族から流れ出てきた音楽です。
ますます雨が激しくなってきました。風も猛烈に荒れ狂っています。不意に一羽の鷹が私の視野に飛び込んできました。まるでよく知っている詩の中で描かれた、俗世と関わりを持たない鳥のように「誇らしく飛び」、幾度も私に低い声で「嵐がすべての怒りをさらけ出すように」と叫ばせました* 。さながら飛ぶことを止められないかのように、鷹は疲れきっていました。ふと私は胸騒ぎがしました。いいえ、胸騒ぎというのではなく、鷹が休めるところはどこにあるのだろうかと、突然、惻隠の心情で胸がつまったのでした。
でも、私は知っています。この刻(とき)、私がかいま見ている草原はほんの一瞬しか存在しません。言いかえれば、それは、毎年毎年の輪廻の四季、歴史、あるいは往事という、ずっしりと重い重荷を背負いながら、ただ沈黙を守りとおし、何も訴えません。この一瞬、私が目にしたものはほんのわずかで、また草原自体も深く静まりかえってしまいました。暴風雨よりさらに猛烈で悲愴な怒号は、もはや遠く過ぎ去ったようです。かつて祈り、懸命にもがき、またつかの間に得た喜びもまた、もはや遠く過ぎ去ったようです。
私はただ記憶をたどり、子細に探りました。すると突然、ハッと気づきました。草原には武器を持った軍隊が幻のように入れ代わりたち代わり浮かびあがり、甘露を持った僧侶が花々の咲きほこる日々のなかで現れ、生まれては消えていく悠久の歴史の中で我が同胞が長い袖を舞いあがらせて踊っていたのでした〔代表的な民族衣装のチュパは長い筒袖〕。
この草原のためなのです! 私は、形はありませんが、どこにでもあまねく存在する縁(えにし)に祈ります。私の無数の輪廻に関わるすべての生命が、この刻(とき)に再び回帰することを願います。すべての生命の耳が、この草原に傾けられることを願います。すべての生命の目が、この草原をじっと見つめることを願います。実は、私が言いたいことは一つだけなのです。私は、創作において、この草原のように、闊達なる表現で、また孤高なる精神で、悲しみを抱きつつ黙々と耐えぬく力を、とりわけ高貴な惻隠の心を持ちえるようにと願うのです!

一二、祈祷

……チベット。ああ。私の生生世世(しょうじょうせせ)〔仏教の言葉で、永遠を意味する〕の故郷。もし私がお供えのチューメなら、あなたのそばで消えることなく燃え続けたい。もしもあなたが飛翔する鷲なら、私を光り輝く浄土にお連れください!

二〇〇〇~二〇〇五年、ラサ・北京

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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