チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2016年5月27日

ツェリン・ウーセル 詩篇 その3 『こんな詩なんて役に立たないけれど、ロサン・ツェパクに捧げたくて……』

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「私の両手には何もありません。
でも右手にペンを握り、左手で記憶をつかみ、
この時、記憶はペンの先から流れます。
さらに行間には、踏みにじられた尊厳と
尽きない涙があふれます。」

ツェリン・ウーセル

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こんな詩なんて役に立たないけれど、ロサン・ツェパクに捧げたくて……* 

一、

もう二三日目になりました。
ある日、「失踪させられる* 」という詩を読み、
すぐにあなたのことを思いました。

あなたは、先月二五日に「失踪させられ」ました。
私はただ涙を流して、詩を書くほかに術(すべ)がありません。

二、

映画には風景の挿入が必要なように、
私の思いは、とてもとても乱れるとき、
夢や幻のような場面がちらつきます。

馬のひづめを埋もれさせる花々、草原の黒いテント、
そよ風にはためくタルチョ、放生(ほうじょう)される鳥や獣(けもの)*

これらはみな私のふるさとの美しい風景、
でも現実は困難を極めた時期で、まさにこの時、
あなたは蒸発するように消えてしまった。

三、

荒唐無稽と現実がイコールで、
私なんて、自分の身も守れないどころか、毒薬のようになってしまい、
あなたは毒の酒を飲み、受難の供物となったのでしょうか* 。

目を閉じれば、いつもあなたが浮かぶ。
あの年の三月、烽火(のろし)が雪国の全域に燃え広がり、
同胞は鮮血を流し尽くした抗議者を寺院に担ぎ入れ、
心の聖殿に供えました。

四、

「三月は最も残酷な月です* 」
ある外国メディアの記者は上品に、こう語りました。
二年続いて三月に彼はチベットを訪れ、何か見たようですが、
まだ何も見ていないようでもあります。
明らかに、彼は三六計〔中国古代の兵法では三六種の計略があるとされ、ここでは中国共産党の策略を指す〕の計略に落ちたのです。
私が「あなたは『チベット人は狼のように吠えた』とおっしゃったのですか?」とたずねると、
気まずい雰囲気になり、彼はプライドが傷つけられたような表情をしました。

五、

アク・ツェパク* 、あなたはどこにいるのですか?
野蛮なやり方で阿壩(ンガパ)に送還されたですか?
それとも秘密の独房に監禁され、残忍なリンチを受けているのでしょうか?

ある若い僧侶が拷問の経験を語ってくださいました。
彼は逆さにつり下げられて、肋骨を三本も折られました。
天気が変わるときは、からだを丸めるほどの激痛が来ます……
ああ。彼にたずねることを忘れました。最近、チベット東部では雪が降りましたが、体調はいかがでしょうか?
それはそうと、ツェパク上人の安否は、誰におたずねしたらいいのでしょうか?

六、

「私たちは足下に国を感じずに生きている
私たちの会話は十歩離れると聞こえない」
これは、スターリンの手により死に至らしめられた良心的詩人* の詩句です。
まさにこの世の春を謳歌している華夏〔中国の古称〕の姿でもあります。

深夜、私は混乱した内心を吐露しました。
「役に立つかどうか分かりませんが、それでも言います。
実は分かっているのです。言っても役には立たない……」
ランワン・ルンバ〔自由なる国〕の友人が力強い口調で語りました。
「あいつらは何を言ってもムダだと思わせる。
しかし、我々は言うことを止めるわけにはいかない。」

七、

私の両手には何もありません。
でも右手にペンを握り、左手で記憶をつかみ、
この時、記憶はペンの先から流れます。
さらに行間には、踏みにじられた尊厳と
尽きない涙があふれます。

八、

地獄を長い間じっと見つめていると、
地獄に少しずつ食われてしまうかもしれません。

条件があれば出してください?
もし条件があるのなら、聞かせてください。
彼を無事に交換できるのであれば。

ふと想い出しました。あの陰鬱な午後、
一羽の陰鬱な手下の鷹が、凶悪な口ばしを開きました。
「おまえに、できるのか? チベットについて書かないことを」

九、

チベットについて書かなければ、詩になりません。

まさに、チベットのためにこそ、ツェパク上人は失踪させられたのです。
まさに、チベットのためにこそ、タペー上人とプンツォ上人は焼身自殺したのです* 。

このリストは延々と長く続き、さらに先へと長く……

漢語の西蔵――
もちろん、きちんとした名称はチベット〔原文は図伯特で、チベットの音訳〕です。

 

二〇一一年四月四日 初稿
二〇一一年四月一七日 脱稿

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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