チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2016年5月25日

ツェリン・ウーセル 詩篇 その2 『チベットの秘密』

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d469e79aチベットの秘密
 ―獄中のテンジン・デレク・リンポチェ、バンリー・リンポチェ、ロプサン・テンジンに献げる一

 

一、

彼らは私とどういう関係があるのかしらと、よくよく考えさせられます。
三十三年間も拘禁されたパルデン・ギャツォは* 、
一二歳から投獄されたガワン・サンドルは* 、
それに、釈放されたばかりのプンツォー・ニトンは* 、
さらに、今もなお獄中に監禁されているロプサン・テンジンは* 。
私は知っているわけではありません。ほんとうです。写真さえ見たことがありません。

ただネットでは見たことがあります。年老いたパルデン・ギャツォ僧の前に、
手錠、足かせ、匕首、性能が異なるいくつかの電気ショック棒。
彼の落ちくぼんで、しわが溝のように深く刻まれた顔から、
若いころのはつらつとした容貌が垣間見えました。
その美しさは俗世間には属さず、幼少期に仏門に入ったため、
外見の美は仏陀の精神へと転化していったのでした。

十月の北京郊外、秋風がうら寂しく吹きわたります。
私はラサでダウンロードした伝記を読み、
雪国の衆生が外国の蹄鉄に踏みにじられるのを目の当たりにしました。
パルデン・ギャツォが低い声で語りました。
「成人してからの人生の大半を中国人の刑務所ですごしてきた。しかも私自身の国で……* 」
でも、「寛恕という言葉を知る」という声も聞こえてきます* 。

覆面をつけた悪魔が不定期に正体を表し、
古い神々〔チベット伝統の護法神〕もかないませんが、
肉体のある凡人でも勇気が与えられます。
深夜の祈祷を真昼の叫び声に変えるとき、
高い壁の下のうめき声を四方に向かって響かせる歌声に変えるとき、
逮捕! 刑罰! 無期懲役! 死刑執行猶予! 死刑!

私はもともと口をつぐんできました。何も知りませんでしたから。
私は生まれると解放軍のラッパの音のなかで成長し、
共産主義の後継者となるように育てられました。
突然、赤旗の下の卵は、打ちこわされました。
中年になり、遅ればせながら怒りが喉を突き破るばかりになりました。
私よりも若い同胞の受難のため、涙があふれて止められませんでした。

 

二、

でも、私は重罪とされて獄中にいる二人を知っています。
二人ともトゥルク* で、東部のカムの人です。
ジグメ・テンジン* とアーナク・タシ* 、あるいはパンリーとテンジン・デレク、
これは彼らの俗名と法名です。
まるで忘れていたパスワードが作動したように、
それほど遠くはない記憶ですが、わざと避けて、しっかりと閉じていたドアを、開けたようです。

そうです。最初はラサの郵便局でした。彼は私に電報を書いてくれと頼みました。
彼は笑いながらいいました。「私は中国人の字は書けないのです。」
彼は、多くの友人のなかで初めての活仏でした。
チベット暦の新年のとき、私たちはパルコルにある写真館で、
けばけばしい色彩のセットの前で、仲良く写真を撮りました。
また、私は朱哲琴のMTVに連れて行き、優美な「手印」を演じてもらいました* 。

めがねをかけたウ・ツアンの女性が彼の伴侶となりました。
二人は孤児院を開き、路上で物乞いをしていた五〇人の子どもを世話しました。
私も一人の里親になりましたが、この限られた憐れみも、突然、思いがけず止めさせられました。
二人は逮捕されましたが、何のためか分かりません。話によると、ある朝、
ポタラ宮広場で雪山獅子旗〔チベット国旗で、中国政府は国家分裂と見なす。雪獅子はチベット伝説の動物〕が揚げられたことに関係しているそうです。
でも、私は認めますが、あまりたくさん知りたくないのです。監獄に面会に行こうと思ったこともありません。

そうです。数年前、ヤルンツァンポ川のほとりで、彼はほとばしる流れの中のりんごを見つめていました。
「ごらんなさい。報いがやって来ました。」
彼の名は知られていますが、それは痛ましくもあり、私は困惑するばかりでした。
もちろん、彼は高名です。人々が次々に変節し、また沈黙するこの時代において、
村々をめぐり仏法を説き、政府や時弊を直接批判しました。
多くの農民、牧畜民、そして孤児は心の中で「大ラマ* 」と仰ぎ見ていますが、
しかし、役人には目のかたきにされ、この突き刺さったとげを抜き取らなければ気が休まらないと思われています。
何度も何度も苦心してわなを張りめぐらせ、「九・一一」の後でやっと捕まえることができました。
ご立派な罪状で、「反テロ」の名目を借りて見せしめにしました。
密かにダイナマイトと卑猥なビデオを隠し持ち、五ないし七件の爆破事件を計画したということです。
でも、私は、投獄される半年前に、彼は辛そうに語ったことを憶えています。
「母が病気で死にました。私は母のために引きこもって、一年修行しなければならない。」
堅く誓った仏教徒が、殺生を犯して命を奪う爆破事件に関われるでしょうか?

 

三、

私はもう一人のラマ〔師〕を知っていて、彼から帰依と瞑想の経文を教えられました。
ある日、セラ寺で、彼の弟子が泣いて訴えました。
彼が修行していたら、突然、警察の車であの悪名高いグツァ監獄に連行されたのでした。
理由は、何かの政権転覆計画事件の容疑でした。
私は数人の僧侶と駆けつけました。道路は、今のように舗装されていなく、土ぼこりが舞いあがっていました。
炎天下で目にしたのは、銃を持つ兵士の氷のように冷たい顔だけでした。

突然逮捕されのと同様に、突然釈放されました。証拠不十分という結論でした。
「劫」を生き延びて与えられた余生だと感無量で、彼は私に珍しい念珠をくれました。
それは獄中で与えられたマントーと窓の外で燦々と咲いていた黄色い花と親族が差し入れてくれた砂糖をこねて作ったものでした。
一個一個の珠にはびっしりと指紋がついていて、一個一個が体温でぬくもっているようでした。
読経しながら、屈辱の九十数日を過ごしのでした。
一〇八個の念珠よ、一個一個が堅固な石のようです。

私はあるアニ〔尼僧〕に出会いました。彼女は私の年の半分でした。
彼女はパルコルに沿って歩きながら、叫びました。チベット人によく知られているスローガンを。
私服警察が押し寄せ、口をふさがれました。それは、ある夏の日でした。
その日は、私が二八歳となった誕生日で、私はきれいな服を選んでいました。
また、その時の彼女と同じ一四歳のときは、ただ来年に成都の高校に合格することしか考えていませんでした。
私が書いた作文は、ベトナム人と戦う解放軍に捧げるものでした〔一九七九年二月~三月、中国・ベトナム国境で武力衝突が勃発〕。

七年後、寺院から追われた彼女は、ある親切な商人のところで手伝いをしていました。
背が低い彼女は、強烈な炎天下でも見すぼらしい毛糸の帽子をかぶっていました。
「布の帽子にしたら?」 私はプレゼントしようと思いました。
彼女は辞退しました。「頭痛がするので毛糸の帽子がずっといいのです。」
「どうして?」 そういう答えは初めてなので尋ねました。
「私の頭は獄中で殴られて壊れてしまったのです。」

挨拶を交わす仲のロデンは、人もうらやむ職業と前途でしたが、
夜通し暴飲した後、一人車に乗ってガンデン寺に行きました。
山頂でルンタ* を投げるとき、命取りになるスローガンを幾度か叫んだため、
たちまち寺院駐在の警察に逮捕されました。
党書記は「酒を飲み本音を吐いた」と書類に記入し、
一年後、ラサの街頭では前科者の無職がまた一人増えました。

 

四、

ここまで書いてきて、私はこの詩を告発にはしたくありませんが、
なぜ、拘禁される者のなかで、僧衣(ドンカ)〔両袖のないガウンに似た衣服〕をまとう者が、そうでない者よりも多いのかと問わずにいられません。
明らかに常識からはずれています。暴力と非暴力の境界線は誰でも知っています。
ですからやはり私たちは羅刹女(らせつにょ)の骨肉なのです〔チベット人は猿と羅刹女の子孫と伝承されている〕。苦難をラマやアニが引き受けているのです。
代わりに殴られ、投獄され、死に赴いているのです。
担ってください。ラマよ、アニよ。私たちの代わりに担ってください!

誰にも知られず、耐えがたい一分一秒、忍びがたい昼と夜、
どのようにして肉体と精神が責め苛まれているのでしょうか?
肉体と書いて、私は思わず身震いしました。
痛いことはほんとうにいやです。ただ一度のビンタでも、私は耐えられない。
恥じながら、私は終わることのない刑期を指折り数えます。
チベットの良心は、一刻も止むことなく、現実のなかの地獄で脈打ち続けているのです。

コルラ〔寺院や聖地などの周囲を時計回りに巡礼すること〕の道の茶館で、つまらないうわさが隅々まで飛びかっています。
コルラの道の茶館で、退職した役人たちが夕方まで楽しそうにマージャンをしています。
コルラの道の居酒屋で、でっぷり太った公務員が毎晩酔っぱらっています。
あぁ、彼らが楽しく堕落するままにしましょう。「アムチョク」になるよりずっとましです。
「アムチョク」というのは「耳」、つまり隠れた密告者です。
「アムチョク」とは、なんとピッタリしたあだ名でしょう。なんとラサの人はユーモアがあるのでしょう。

裏切りと密告が、のぞき見とひそひそ話のなかでこっそりと進行しています。
すればするほど、ご褒美もたくさんもらえて、大物になれます。
ある日、町を歩いていると、奇妙な気持ちになって、私は耳をおおいました。
注意せず、気をゆるめたら、他人の手のなかに落ちてしまうのです。
注意しなければ「アムチョク」になり、隅々に入りこみ、どんどん鋭くなっていきます。
おとぎ話のなかで、子どもの鼻がうそをつくたびに長く伸びるようです〔ピノキオ〕。

いったいどれくらい怪しい「耳」が身近にいるのでしょうか?
また、どれくらい「耳」ではないのに「耳」だと誤解されているのでしょうか?
この奇異な人間模様は、アメとムチよりもずっと破壊力を持っています。
こう考えてくると、私は憂い、悲しみ、そして不本意ながら気づきました。
もう一つのチベットがあるのです。私たちが生活するチベットの裏面に隠されているのです。
このようなわけで、私はもはや抒情詩を書けないのです!

 

五、

でも、私は依然として沈黙しています。これはもはや習慣となったスタイルです。
理由はただ一つ。とても恐いからです。
なぜでしょうか。誰かはっきりと説明できるでしょうか。
実際、みなこうなのです。私には分かります。
「チベット人の恐怖は手で触れるほどだ」と言います* 。
でも、私は、本当の恐怖は既に空気中に溶けこんでいる、と言いたいです。

過去と現在のことに触れると、彼〔リンポチェ〕は突然すすり泣きだし、私は驚きました。
えんじ色の僧衣で彼は顔をおおい、私は思わず笑ってしまいました。
こみ上げる内心の痛みをまぎらわせるためでした。
周りの人たちは私をにらみつけましたが、
彼は僧衣の中から頭をあげ、私と視線を交わしました。
そのかすかな震えから、恐怖の大きさが伝わってきました。

国営新華社通信のある記者は、北チベット〔自治区北部の那曲(ナチュ)地区〕の牧畜民の子孫で、
中秋節の夜に、酒臭い息を吐きながら共産党の言葉で、私をどなりつけました。
「お前は何様だ? お前があばきたてれば何でも変えられると思っているのか?
おれたちがやっと変えたばかりだというのを知ってるのか? お前は何をしでかそうとしてるんだ?」
私が規則違反したのは確かなことなの? 私は反論しようと思いましたが、彼の口から走狗の凶悪さがさらけ出されていました。
もっとたくさんの人は、もっと重大なことをしでかしたので、粛清されたのでしょうか?

彼女たちが朗唱する軽やかな声が聞こえてくるようです。
「かぐわしい蓮の花は、太陽〔毛沢東は「紅太陽(赤い太陽)」と崇拝された〕に照らされ、枯れてしまいました。
チベットの雪山は、太陽の熱で焼けこげてしまいました。
でも、永遠の希望の石は、命をかけて独立を求める私たち青年を守ります」〔「タプチェ監獄で歌う尼僧」の歌声の一つ〕
いいえ。いいえ。私は政治の暗い影を決して詩に入れるつもりはありません。
でも、どうしても考えてしまうのです。獄中の十代のアニはなぜ恐れないのでしょう?

書き続けましょう。ただ心に刻むためだけに。上に立って憐れむような道徳感など、
当然、持っていません。一個人が吐露するような私事を書きましょう。
ふるさとを遠く離れ、見知らぬ異民族のなかで永遠に身を置きながら、
ちょっぴりと後ろめたさを抱きながら、安全に、声を低くして話しましょう。
つくづく思うのです。彼(女)たちは私と無関係ではありません!
ただこの詩をもって、ささやかな敬意と、遠くからの想いを表します。

二〇〇四年一〇月二一日、初稿
二〇〇四年一一月一〇日、改稿、北京

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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